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ヴェネツィア・スクラップブック

「包む」 ということ

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先日、日本の友人から日本のお菓子が届いた。
開けた瞬間、「わおおおー」と思わず歓声。
包みが、なんとも美しかったのです。
美しい濃目の藤色の包装紙の上に、白地の熨斗紙にはこの季節の桜の樹と散る桜の花びら、そして月か太陽か(おそらく月でしょう)が描かれて。そして紅白の水引。
品を包む、その品の「周り」の部分に季節の美しさを添えて相手に差し上げる、というその心が、海の向こうから久しぶりに私に届いて来たのだった。

きっと日本のデパ地下(←イタリアにはこのデパ地下食品街が存在しない。ちなみにヴェネツィアにはデパートすら存在しない。ので、この単語もちょっと懐かしい)のお菓子売り場では、このような包装はいくらでもお目に掛かれるだろう。
それだけこのギフト用「包装文化」は当たり前なことなのだけれど、
それがこちらではかなり珍しい、というか、習慣としては無い、といっていい。

こちらイタリアでも、お店によってはギフト等にとても美しい包装をする所も勿論あるけれど、習慣的には基本的に「ムキダシ」文化、である。

例えばお金(お礼でも、貸し借りしたお金でも)を渡す場合にも、基本は剥き出しで、包まずにそのまま渡す。
ということが、別に相手に対して失礼ではない、ということだ。

「品そのものを剥き出しで相手に渡す」という行為が「生々しい(=基本的には相手に失礼)」と感じるのは、日本独特なんだなあ、所違えば違うものだ、と日々の生活で感じている。

それは「包む」というだけではなくて、贈答に関するアクションの違いにも通じている。
例えばプレゼントを渡した時、日本では基本的にはその場では開けずに頂くだけにしておいて、後で開けてお礼を改めてお伝えする、というのがある。(親しい友達同士ではまた別だろうけれど)。
一方でこちらでは、その場で開けて直接本人に喜びを伝えるのが基本。ストレートなのである。

しかも、「ラッピング」に対する心配りは殆ど欠如しているので、
私が包んだギフト包装が、目の前で相手にビリッ!!ビリビリッ!!と、見事に引き裂かれる。そして包装紙は、これもまた目の前で、くしゃくしゃ、ぽい、である。
もちろんこれは失礼な行為でもなんでもなく、私ももちろん非難している訳では全くない。
しかし、何年こちらに住んでいても心のどこかでは「日本では、この引き裂き方&くしゃくしゃぽい、は無いよなー」と眺めている自分がいる。
これが、習慣の違いというものだろうなあ、と思いながら。
そして、日本で生まれ育った私から、この感覚がなくなることは無いんだろうと改めて思うのだ。

これは「包む」か「包まないか」というだけのことではなくて、
「相手をリスペクトする心」を、どんな形で表しているか、という違いなんだろう。

そういえば思い出すのが、映画「ラブ・アクチュアリー」の中の1シーン。
お店でアクセサリーを買った主人公の一人の男性が、急いでいるのに(確か妻と一緒の買い物の最中で、妻がいない間に愛人の為のプレゼントを買っていた)、ローワン・アトキンソン(あのお馴染み「ミスター・ビーン」の俳優さん)扮する店員が「日本風」に丁寧過ぎるラッピングをするので、時間がかかって待たされて主人公がドキドキハラハラする、というちょっと笑ってしまう(しかもアトキンソンが相も変わらずすっとぼけている)シーンだったけれど、ここにも日本独特の「包む」が、おもしろおかしく演出されていたのだった。

こちらイタリアに住む日本人にとってはつまらない内容だとは思いながらも、
春のある日に日本から届いた美しい包装から、少しだけ日本の「包みに託す気持ち」とこちらとの違いを考えてみたのでした。



by sumiciki | 2012-04-13 23:30 | 日々の生活で

ヴェネツィア在住。雑記帳ブログ。
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