ヴェネツィア・スクラップブック

フィレンツェの写真博物館

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イタリアルネッサンスが花開いた街、フィレンツェ。
といいながら、今回私が仕事でフィレンツェを訪ねた際、自由時間に足を向けたのは、「アリナーリ国立写真博物館」(Museo Nazionale Alinari della Fotografia、通称MNAF)。
当然ながら、ルネッサンスからは大分時代を下る展示物を蔵する。

ここの美術館、鉄道駅近くにある有名な教会、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会と同じ広場にある。教会の入り口の広場の反対側が、写真美術館の入口だ。
だから、鉄道駅を利用する観光客にも実に利用しやすい場所にあるのだけれど、しかし観光客には「フィレンツェ=ルネッサンス」的なイメージがあるからか、ガイドブック等を見ても、他の観光スポットに比べるとイマイチマイナー感があるかもしれない。

しかし、なかなか、小規模ながらもその内容が面白い。

イタリアに写真技術がもたらされたのが1838年、その後フィレンツェにアリナーリ三兄弟が写真館をオープンしたのが1852年。美術館の名前は、彼等の名前から来ている。

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企画展では、イギリスの60~70年代のモードや著名人などのポートレイトで知られるイギリス人写真家、Brian Duffy(ブライアン・デュフィ:1933~2010年)の作品展。タイトルは「The Photographic Genius」。(2012年5月20日まで)
モード紙のモデルをイタリアの街角に立たせ撮影した白黒写真。デビッド・ボウイからWバロウズまで多くの著名人達のユニークなポートレイト。
ノンフィクションビデオ上映と共に、暫く彼の遺した写真世界を楽しませてもらう。

常設展スペースがなかなか興味深い。マテリアルや写真技術の歴史を、垣間見ることができる。
ネガの展示コーナー。
昔のフォトアルバムの展示コーナー。写真がまだ貴重なものであった時代、それらを収めるフォトアルバムというものも貴重であり、豪華なものであったことが伺える。
例えばサヴォイア家のウンベルト皇太子が1916年のクリスマスに記念撮影した写真を収めたアルバム。
個人的に「こんなものもあったんだ」と興味深かったのが、1927~28年の「Ricordo del Viaggio della Cina e Giappone」というもの。つまりこの時期に中国と日本へ航海した船員(ユニフォームから見て海兵だろうか)がその航海の記念に、自分のポートレイトに豪華な刺繍(各国の国旗と、たしか鷹と龍だったか、の刺繍)で飾ったものを額装したもの。

また、アリナーリ兄弟とジノリ社がコラボで作った、フィレンツェのパノラマ写真を磁器に写した飾り鉢、なんていうものも1872年に出ている。

昔のカメラの展示コーナーでは、ショーケースの中に、いくつか日本製のカメラを見つける。
1962年のヤシカMAT124G。1962年のアサヒペンタックスSV。1966年のミノルタSR-T101。1970年のキャノンDial35・・・。
1960年・70年代は、ドイツ、アメリカ、そして日本のカメラが市場を席巻していたことが分かる。

さて、冒頭のアリナーリ兄弟だが、かれらの業績は、フィレンツェだけではなくイタリアの風景や人々の暮らしを多くの写真に残していること。現在それらはアーカイヴとして保管されていて、いくつかの写真はミュージアムショップでも買い求めることができる(33ユーロ、2012年3月現在)。

また、花などを撮影対象とした写真群からは、彼らが資料や記録としてだけではなく写真というものをエステティックなものを撮影するものと捉えていたことが分かる。

写真を楽しんだ後、美術館を一歩踏み出したら、目の前にはサンタマリアノヴェッラ教会の美しいファサードが夕日の中に佇んでいた。

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(写真は2枚目のみMNAFのサイトより拝借)

MNAF Museo Nazionale Alinari della Fotografia
Piazza Santa Maria Novella 14a rosso
Firenze
Tel. +39055216310
Fax +390552646990
E-mail: mnaf@alinari.it

ORARIO: (開館時間)
Tutti i giorni 10-19.30 (10~19時30分)
Chiuso il mercoledì (水曜休館)
La biglietteria chiude 30 minuti prima della chiusura(入館は閉館30分前まで)

博物館のサイトはこちら↓
http://www.mnaf.it/mnaf.php
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# by sumiciki | 2012-04-03 20:17 | 美術

イタリアでの日本の「アニメ文化」の実感は・・・


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日本でもいつだったか(麻生元首相の時だった気がするが)日本の「アニメ文化」が注目された時期があったが、
日本にいた時にはいまいちピンと来ていなかった、「海外そしてイタリアでの『アニメ文化』」というものを、こちらに来て日々の生活の中で実感すること、しきり、である。

彼等は、日本のアニメに「注目する」という感覚というよりはむしろ、自然に「それを観て育っている」のである。・・・というのが、私の印象。

以前こちらイタリアのテレビ番組で、それは旅行番組でリグーリア州とイオニア海を特集していたのだが、
真っ青な空とその下に広がるイオニア海。そこを行く一艘の漁船に司会の女性が乗船して、海とそこで取れる魚、そしてその地方の魚介料理を紹介するという、いかにもイタリアンな内容だったのだが、
美しい青き海に浮かぶ船の船体に大きく描かれていたのは・・・・・・
竿を担ぎガニ股姿の「釣りキチ三平」だった。
それを見た途端、私にはコロンブスも眺めたであろうリグーリアの海が日本海に見え、釣りキチ三平の「オーレは釣りキチ三平だ、竿を握らしゃ日本一の~」というお馴染みの主題歌が頭の中に鳴り響き、のけぞったのだった。
漁船といったら、釣り人にとってはある意味大切な盟友であり戦友だ。そこにデカデカと「釣り吉三平」なのだから、これは船に乗っていたイケメンおじさんの、相当な思い入れだろう。

こちらで大学生や30~40代位の友人達(特に男性)との話題に出ることもしょっちゅうだ。
私が幼い頃に見ていたアニメを、私より一回り年下の彼等が見て育っているのは、日本のアニメがこちらで放映されるのにタイムラグがあるからだろう。
それにしても、こちらに来て昔のアニメ話題で盛り上がる事になるとは、想像もしていなかったこと。
タイガーマスク、マジンガーゼット、キャプテン翼(ちなみにタイトルは「キャプテン翼」とは言わない。主役の名前が変わっていて、「ホリー&ベンジ」となっている)、ドラエモン、ルパン三世、釣り吉三平、ドラゴンボール、キャンディ・キャンディ、ハイジ・・・挙げ始めたらもう、キリがない。

ちなみに「ベルサイユのばら」はこちらのタイトルでは「レディー・オスカー」。なるほど。

「ファンタマン」と聞いて何だ?と思ったら、なんと懐かしの「黄金バット」だった。これなんて古過ぎて私はまだ生まれていないから観ていない。
それをこちらの大学生が観ていたりする。

以前私が家で作ったおにぎりを見て、イタリア人の友人は「あーっ!『ルパン三世』でゼニガタ(←銭形警部)が食べてたヤツだ!」と歓声を上げた。「おにぎり」という名前は知っていなくても、それ自体はお馴染みなのである。(ちなみにラーメンを見た時にも彼は同じ事を言っていた。)

別にアニメオタクでも何でもなく、自然に彼等の内に溶け込んでいるのである、日本のアニメが。これは結構スゴイことではないか。
「ドラエモン」を観れば、一緒に日本の一般的な住宅、そして畳、押し入れ、布団も出て来る(そしてもちろんドラ焼きも)。それらをすんなりとアニメを観ながら受け入れているのである。 

突然だけれど、私はここで「北風と太陽」の話を思い出す。旅人のコートを脱がせるために、北風と太陽が勝負をして、無理やり北風が冷たい風でコートを吹き飛ばそうとするが果たせず、逆に太陽が光を照らしたら、暑くなった旅人が自分からコートを脱いだ、という、あの話。
かつては時代の中で、占領下の国の国民に占領者達が自分の国の言葉を強制的に植え付ける、という時代もあったわけだけれど、「強制」からは「浸透」は生まれないのではないか。
よいと思うもの、面白いと思うもの、関心のあるものには、人は自然と懐を開くのだろう、と思う。

日本のアニメ、なかなかヤリますね。

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# by sumiciki | 2012-04-02 00:47 | 日々の生活で

オリーヴの枝を手に


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朝、いつもよりも賑やかに鳴り渡る教会の鐘の音で目が覚めた。

昼にぶらりと外に出た時に合点がいった。

ヴェネツィアの街の中の広場に集まりおしゃべりしている人達。それはいつもの日曜日の風景なのだが、今日は手に手に葉のついたオリーヴの枝を持っている。

今日は「枝の主日」、カトリック上重要な移動祝日で、復活祭の一週間前の日曜日なのだった。聖週間と呼ばれる、キリストの最期の一週間の初日にあたる。
キリストはこの日、エルサレムに入城し、群衆がオリーヴの枝を手に持ち歓迎したのだそう。

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犬と一緒に路を散歩する若い女性も、今日は上の写真のようにオリーヴの枝を持ちながら。

ただ、イタリア(ローマカトリック教会)ではオリーヴの枝だが、キリスト教でも宗派によって、そして地域によって枝の樹種は違ってくるらしい。
聖書の記述によると棗椰子なのだそうだが、オリーヴだったり棕櫚だったりネコヤナギだったりするのだそうだ。キリスト教が棗椰子の栽培圏を超えて広がっていることを示している、ともいえるだろう。
古代ギリシアから平安の象徴とされていたオリーヴが、棗椰子の生息しない地域で代用された、らしい。

同じこの日、また別の地域や国では、おじさんおばさんがその国の広場でまた別の枝を持ちながら、おしゃべりに興じているだろうか。
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# by sumiciki | 2012-04-01 21:19 | 日々の生活で

植草甚一Works6 「イタリア映画の新しさを伝えたい」

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植草甚一さん、という人がいた。「J・J氏」という愛称で知られた、欧米文学やジャズや映画の評論家。

学生の頃読んだ彼の評論やコラムから、様々な作家や映画やジャズを教えてもらった。
私の大好きなイタリア人作家イタロ・カルヴィーノの名も作品も、植草さんの本を読んで知った。その時からいつかはカルヴィーノの著作を原文で読みたい、と思っていたから、今私がイタリアに住むきっかけのひとつは、植草さんによって種を蒔かれた、とも言えるかもしれない。

この植草さんという人、いわゆる中年の頃の植草さんの写真はちょっと太めの「どこにでもいそうな」おじさんなのに、歳を取ってから(胃の手術後に大分痩せられた)の写真を見ると、およそ「どこにもいない」おじいちゃんに変貌を遂げる。
その写真がとにかく素敵なのである。
イケテる(←彼が着ると)Tシャツに帽子にジーンズ、そして何よりも目が、この人はおじいちゃんになればなるほど、キラキラピカピカしてくるのである。
スゴイじーさんがいたものだと当時学生だった私は写真を見てうーんと唸ったものだった。

私が評論やコラムを読んでいた頃は既に故人となられていたので、リアルタイムで読んでいたのではない。
晶文社からかつて発刊された「植草甚一スクラップブック」シリーズは新書を扱う本屋では既に絶版で、計らずも植草さんが好きだった古本屋に私も足を運ぶようになったのだった。
新刊本とはまた別の世界が、それは値付けという評価も含めて、古本屋にはあるのだとその時に知った。
古本の植草さんのシリーズは、当時学生だった私にはなかなかの値段だったので、少しずつ、社会人になってからもボチボチと、古本屋で見つけると買い集めて読んで来た。
それらのシリーズも、復刻版のリクエストが多かったのだろうか、既に大分前からお求めやすい値段で新書店に並んでいる。

その植草さんの映画評、中でもイタリア映画だけを集めたものが、近代映画社から「植草甚一Works6 イタリア映画の新しさを伝えたい」として刊行されている。映画雑誌「スクリーン」に掲載された文章を書籍化したもの。

イタリア映画の「新しさ」といっても、それは執筆年代の(なんと)1940年代後半から1960年代のこと。
植草さんは終戦後まだ年も経ない時期からイタリア映画の傑作を次々に紹介しているのだ。
彼のワクワクするような文章を通じて、当時の黄金期イタリア映画の新しさというものが、まるで自分もリアルタイムにそこにいるかのように、実感として迫ってくる。この感覚はなんとも楽しい。

作品としてロベルト・ロッセリーニ、ヴィットリオ・デ・シーカ、ピエトロ・ジェルミ、ルイジ・ザンパ、ジュゼッペ・デ・サンティス、アレッサンドロ・ブラゼッティ、ルキノ・ヴィスコンティ、マウロ・ボロニーニ、フェデリコ・フェリーニ、脚本家としてのパゾリーニ。俳優陣に、ヴィットリオ・デ・シーカ、アリダ・ヴァリ・・・。
今では「大巨匠」という大前提で語られる監督や俳優陣が、ここでは「こんなスゴイ人が出てきているよ」というリアルタイムの言葉で語られている。

植草さんの文章を読んだことがある方はご存知かと思うけれど、植草さんの文体には独特のスタイルがあって、それがきっと当時の若者の間の人気に火を点けたのだと思うけれど、しかしその文体も、最初からそうだったわけではない。それがこの本に(章毎に)時系列に並んだ文章を読んでいって改めて分かる。
後半の方になって、「あ、きっとこの頃からあの写真のようなキラキラしたじーさまになって来ているのでは」とこちらも想像しながら読んでいった。

年が経ち、私がイタリアに暫く住んでもなお、今は亡き植草さんは私に色々なものを伝えてくれる人なのだった。


「植草甚一Works 6 イタリア映画の新しさを伝えたい」 (Screen Library 006)
著者:植草甚一
発行:(株)近代映画社
価格:1800円+税

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# by sumiciki | 2012-03-21 21:44 | 映画・舞台など

2012年3月11日、イタリアの新聞記事


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あの、東日本大震災から1年が過ぎた、2012年3月11日。

当日はこちらイタリアのテレビでもいくつか特別番組が放送されたようだ。テレビニュースでも、被災地での追悼式や天皇皇后両陛下が列席なされた東京での追悼式典の映像などと共に報道していた。
ただ私は、あいにくその日はヴェネツィアを留守にしており、長い時間テレビやインターネット等をチェックできる環境になかったので、せめてもと思い日刊紙「コリエッレ・デッラ・セーラ」を買い、震災から一周年の日本に関する記事を探した。

・・・復興に取り組む人々のこと。原発に対する数々のデモが続いていること。南三陸ではこの地を離れる人口が増加(約2200人減とあった)、だが製造業の85%が無に還った状態で、仕事を無くした人々はその地を離れざるを得ない現状のこと。漁業と船舶が受けた甚大な被害のこと。被災地の方々が願う「安定した生活」のこと。被災した方々の精神的なトラウマのこと・・・。
一紙面の4分の3程を割いて、いくつかの写真と共に掲載されていた。

掲載されていた写真は、震災直後の気仙沼の瓦礫の原と化した写真と今日の(瓦礫が取り払われた状態の)同じ場所の写真。大船渡の仮設店舗。津波の被害を生き延びた1本の高い松の木(陸前高田)。南相馬で2人のお坊さんが雪の原に祈っている後姿。

記事全体からの印象としては、正に文字通り「震災から一周年」、一年前の震災被害とその復興に焦点を当てた内容で、原発問題について書かれている部分は、それに対しデモが繰り返し行われているという記述程度で大分少ない、と感じた。
放映時間の長い特番などでどこまで詳しく穿って日本の現在の原発問題を扱っているかは、見ていないので何とも言えないが、全国紙の新聞記事レベルでは「震災復興」に比べて日本が抱える「原発」という大問題のウェイトは少ない気がした。

日本が抱えるこの人類共通の大問題は、他の国々にどの様に、そしてどれほど、伝わっているのだろうか。
それが記事を読んだ後、強く感じたこと、だった。
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# by sumiciki | 2012-03-16 01:16 | 日本

ブリオン・ヴェガ墓地とスカルパのお墓

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墓地の設計、というのは、設計者にとってはある意味理想的な仕事ではないだろうか。
ここを訪ねる度に私がまず思うのは、このことだ。スカルパさん、よかったですねえ、と。

トレヴィーゾ郊外の、サン・ヴィート・ディ・アルティヴォーレという小さな街に、ヴェネツィア出身の偉大な建築家、カルロ・スカルパ設計の「ブリオン・ヴェガ墓地(Cimitero Brion-Vega)」がある。
1970年から75年にかけて、約2400㎡という広大な敷地に造られた、イタリアの電機メーカー、ブリオン・ヴェガ社の社長一族の墓地。

墓地というのは、所有者一族が基本的には変わらないから、一般建築物のように、例えば好意的な発注者がいなくなった後に、経済的な理由などで取り壊しや改築の憂き目にも遭うこともない。
始めから、発注者が亡くなった後での、永遠の住処の設計を依頼されているのだから。

一方で、例えば、同じくスカルパの作品でも、ヴェネツィアのサンマルコ広場に面する彼の設計になる「オリヴェッティ・ショールーム」は、最近になって再度公開されているが、その前は暫くの間クローズしており、更にその前には画廊が入っていたため、オリヴェッティ社プロダクトのショールームという当初の設計の目的とは異なる品々が展示されていて、そこの店の前を通りがかる(そしてまた時々中に入る)度に、私は建物のデザインと内部展示の何とも言えないちぐはぐ感と、人手に渡った建築の変遷を感じずにはいられなかったのだった。
その点、墓地というのは、なんとも理想的な仕事と言えるのではないだろうか。

スカルパの代表作のひとつであるこの墓地については、多くの建築関係の書籍などで詳しく紹介されているので、詳しい説明はする必要もないと思う。そしてまた、彼の建築言語とでもいうのか、ここを訪ねた人はそれを体中で感じることができるだろう。
イタリアの、そしてヴェネツィアやその周辺の街の古い街並みの中に生まれ育った彼の中に、どうやってこのような建築の概念が育まれていったのか・・・。

ただ、(これも現地を訪ねれば一目瞭然なのだけれど)建築関係やスカルパ作品を紹介している本では、スカルパの設計した、ブリオン一族の墓地の部分しか写真に写っていなかったり、その部分だけを紹介しているのだが(まあ当然なのだけれど)、
実際にはブリオン家一族のための、この広大な敷地の手前に、他の一般の人々が眠る市民墓地が広がっている。
つまり、一般の墓地の奥に、特別扱いのブリオン家の広大な墓地空間が広がっている形になる。

先日私がここを訪ねた時にも、建築を学んでいるアジア系の学生の団体さん、そして数組の2~3人の個人客が訪れて写真を撮ったりしていた。

その地の墓地には縁も所縁も無い多くの人達が、一般の墓地には見向きもせずに奥の一部の墓を訪ねて見学し、手前の一般墓地では(たまたま日曜日の午前中だったこともあり)家族や先祖の墓に花を手向けている人達がいる。亡き個人を供養する人と、墓地を見学する所縁の無い人達が同じ敷地を行き来している光景は、少し引いて考えてみると、ちょっと風変わりだなと思う。

この地でガイドをしているイタリア人の知り合い曰く、スカルパは墓地空間を(それまで一般的だったものとは違って)悲しみの空間ではなく、庭園~それも瞑想的な空間、水のある空間、静謐な空間を伴った~のような空間にしたいと考えたのだと言う。
確かにそれは実現され、今なお現存している。
そしてこのスカルパの傑作のすぐ脇では、所謂「伝統的な」「一般的な」墓地で、地元所縁の人達が、亡き個人の墓石に花を供えて祈っているのだった。

ちなみに、このブリオン家のお墓のすぐ近く(でも仕切り壁で隔ててある)に、設計者スカルパのお墓もある。
こじんまりとした、美しいお墓だと、いつも思う。
前述の知り合いのガイドによると、ヴェネツィア出身であるスカルパは、一般的には遺体は水平に埋葬されるものだが、彼がここに埋葬される時には「ヴェネツィアの街を下で支えている木の杭のように」垂直に埋葬されることを望み、実際そうされているのだという。

ヴェネツィア出身の彼が、自らこの地に眠りたいとブリオン家に頼んだのだという。
出身の地を離れてでも、自分がその脇で眠りたいと望むほど、それだけこの地とこの作品をスカルパは愛していたのだろう。その死地は、私には羨ましくもある。

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# by sumiciki | 2012-03-03 23:08 | ヴェネト州(ヴェネツィア以外)

漢字ブギウギ

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ヨーロッパの他の国に洩れず、イタリアでもタトゥーが流行っている。
イタリア語でTatuaggio(タトゥアッジョ)、という。

そしてまた、何でだか漢字でタトゥアッジョを入れている人を、時々見かける。
彼等にとって漢字というのは、デザイン意匠として、つまりビジュアル的に興味深いもの、らしい。


以前、こちらに住む日本人の友人が言っていたのだが、
「僕この前、腕にタトゥアッジョ入れてるイタリア人を見かけたんですけど・・・・『御手洗』って彫ってありました・・・」。
誰か知合いの日本人に、彫り込む前に意味を確認しなかったのだろうか。それとも、意味を知った上でなお、この「御手洗」という意匠デザインに彼は魅了されたのか。それともその人の彼女は日本人で「御手洗(みたらい)」さんという苗字の人かもしれないし・・・と、暫く気になって仕方がなかった。私が遇ったわけでもないのに余計なお世話なのだが。

また別の日、これは私が直接見たのだが、カジュアルな洋服を売っているお店のショーウインドウに、マネキンが浴衣らしきもの(しかし明らかに日本製ではない)を着て立っていた。
その浴衣には、様々な漢字がデザイン的に散りばめられているのだったが・・・・その中で、他の漢字よりも大きい字体で、しかも胸元近くの最も目立つ場所に印刷されていた一文字は・・・「尿」だった。
なぜよりにもよってこの漢字なのか・・・。
これも、印刷した人が「尿」というデザインにビビッと来たのか。それともとにかく漢字を散りばめただけで、意味の確認は全くしなかったのか(多分こっちだろう)。いずれにしても、それを気にしない人がこの服を買うのだろう(日本人は、まず買わないだろう)から、まあ問題はないのか・・・これも余計なお世話なのだが。

上の2つのエピソード(という程のものでもないが)は、漢字を見た途端にその意味を把握する日本人(というか漢字を母国語として使う人)と、いつまでもデザイン性でしか捉えていない外国人(漢字を母国語としない人)の違いが如実にそして断片的に表れていて、オモシロイ。

話は変わるが、ちなみに私もイタリア人の友人や知り合ったばかりの人に「私の名前を漢字で書いてほしい」とか、「息子と娘の名前を漢字で書いてもらえないか」、と頼まれる事がある。
これは中々辛い(オモシロイと言えばオモシロイのだが)。せっかく名前を漢字で書くのだから、あまりネガティブな意味の漢字は使いたくないし、などと日本人らしい考えが頭を擡げるけれど、当のイタリア人には全くそれは伝わらない。
先日頼まれた時は、彼の娘の名は「ジュリア」で、息子の名は「ファビオ」だった。
あまり時間の無い時だったので、急いで考えた。
「ジュリア」は「ジュ」にちょっと迷ったが、「儒利亜」。カトリックにしてはちょっと儒教っぽかったか。
「ファビオ」が難しい。「ファ」の発音の漢字ってなんだ。思わず手元の電子辞書の漢字辞典を使ったら、頼んだイタリア人に「なんで自分の母国語なのに辞書使って探しているんだ」と変な顔をされた。
それでも「ファ」が見つからなかったので、考えた結果(というほどでもないのだが)、苦し紛れに「普亜美雄」と書いた。
彼が呉々も子供達の腕にこの苦し紛れな漢字のタトゥーを入れない事を願うのみである。
私は私で、「ジュリア」の「ジュ」は「儒」でイケルけど、「アンジェラ」と頼まれたら「ジェ」はどうしよう、とか、またしても余計な事が気になっている。

また時々は、自分の腕に既に彫ってある漢字のタトゥーを見せられて、「これ、読めるか?」と訊かれることなども、ある。
相手は、私に見せたい、のである。見せて読んでほしくてたまらないのである。
これも、結構苦しい。
先日見せられたのは、「安麗散土露」だった・・・「・・・アレッサンドロ、・・・かな?」と答えてあげると、彼は「当たり!!」と満面の笑みだった。
暴走族の落書きの雰囲気を醸し出す、これらのイタリア人名の漢字表記・・・「これ、暴走族みたいでちょっとキツイよ」と言っても伝わらないだろうから、いつも言わないでいるのだが、どうしたものだろうか。

イタリアを旅行される旅行者の皆さん、道行くイタリア人のタトゥーに注目すると、なかなか面白い土産話ができるかもしれません。
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# by sumiciki | 2012-03-01 23:55 | 日々の生活で

カーニヴァル、突入

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イタリアではまたもや寒波と悪天候・大雪被害が相次いでいて、テレビのニュースでは、ローマのフィウミチーノ空港では今日のフライトの50%が離陸できなかったとか。水や電気が無い状態で何日も孤立している地域もある。

一方ヴェネツィアでは寒くはあっても雨も雪も降らず。なんともありがたいこと。
ヴェネツィアでは2月4日からカーニヴァルが始まっている(しかし先週末は悪天候でイベントが中止になったりしていた)が、本格的になるのは今週末から。

今日サンマルコ広場を通ったら、すっかり広場はカーニヴァルの雰囲気に突入していた。

広場を歩く人達、こんな感じ。

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こんなのも、あり。

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カフェでくつろぐ人達、こんな感じ。

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ガラス越しに写真を撮りまくられ、半ば動物園状態(でもきっと彼等は嬉しいだろうけど)。

大の大人達が、気合いを入れて仮装する。街を歩き、店に入り、カフェを飲み・・・。
街全体が、一気に仮装大会に突入した感じだ。

広場には舞台が設けられ、コスチュームのコンテストらしきイベントが開かれていた。

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その脇には、カフェが。

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ドゥカーレ宮殿前には、仮設の「ワインの噴水」が。

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その前で、ワインを売っている。

サンマルコの鐘楼を見上げると・・・

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よく見ると、ワイヤーが鐘楼から仮設舞台の方に下がるように伸びている。(写真では見えにくい、というか殆ど見えませんね・・・すみません)。

これは、明日の昼に開かれる、毎年恒例のヴェネツィアのカーニヴァルのオープニング・イベントである、コロンビーナの(毎年選ばれた女性が鐘楼から降りる。鐘楼の高さ、96.8m!)イベント用。
明日、天気が持つことを願いつつ・・・。
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# by sumiciki | 2012-02-11 22:44 | ヴェネツィア

寒波襲来

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欧州中を寒波が襲っていて、被害が相次いでいる。
イタリアでも、首都ローマでは積雪で大混乱。学校も観光スポットも閉鎖。ミラノやトリノ、その他各地で大雪。

そしてもちろんヴェネツィアでも。
先週は霙が降った日もあった(が、積りはしなかった)。
昨日は、運河に張ったたくさんの氷がゆっくりと流れているのを見た。
道を行く地元の人達も、「おおー」というような反応で運河を眺めながら歩いている。彼らにも相当珍しい光景、らしい。
お客さんを乗せたゴンドラが、その氷を掻き分けるようにして運河を進んで行く。

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仕事で外出した際、ヴェネツィアとイタリア本土を結ぶ唯一の長い架橋、ポンテ・デラ・リベルタを渡った時に目に飛び込んで来たのは・・・波の漣の形を残したまま凍りついたラグーナ(潟)だった。ヴェネツィアに住んで、凍ったラグーナを見たのは初めてだ。

これまた仕事で出掛けたジュデッカ島では、ジュデッカ運河の河岸に打ち寄せた水がそのまま凍っていた。

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昨日の午後には、ヴェネツィアに住む友人から電話が入る。冷気で凍りついた水道管が破裂し水が使えなくなり、シャワーを使わせてもらえないかというエマージェンシー・コール。こんな時に、なんともお気の毒(しかし他人事ではない!)。
話に聞くと、ヴェネツィアでは水道管破裂が相次いでいるとか。
そういえば、つい先日水道の配管工に連絡を取ろうとしたが、2人とも全く連絡がつかなかった。もしかしたらここ数日、彼等はヴェネツィア中の水道管修理でてんてこまいなのかもしれない。

テレビのニュースも、イタリア国内そしてヨーロッパでの寒波と大雪被害のニュースで連日もちきりだ。
ヴェネツィアでも、先週末の予報では零下10度だったし、とにかく身を切るような寒さが続いているのだが、昨晩地方ニュースを見ていたら、「ヴェネト州(ヴェネツィアの属する州)で最も寒さが緩かったヴェネツィアとパドヴァでは零下7度だった」と言っていた。
これでも、私は相当マシな環境にいるらしい。これでひいひい言っているとは、我ながら何ともヤワである。文句は言えない・・・。
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# by sumiciki | 2012-02-07 17:50 | 日々の生活で

トーマス・ヒルシュホルン

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終わってから既に2ヶ月以上が経ってしまった・・・(ブログに採り上げるのがあまりに遅くてすみません)。
ヴェネツィアでは、昨年11月下旬までコンテンポラリー・アートのビエンナーレ(Biennale)が開かれていた(ご存知の方も多いと思うがbiennaleとは「2年毎の」という意で、毎年アートと建築の展覧が交互に行われる)。

私は(これまたご存知の方も多いと思うが)、物忘れが激しい。
ビエンナーレも終わって2ヶ月も経つと、長い期間をかけて準備してこられた開催者側の方々には甚だ申し訳ないのだけれど、かなりの部分は忘れてしまっている。
けれど、その段階でなお自分の中に強烈に残っているものがあれば、それはありがたいビエンナーレの収穫だと思っている。

今回のビエンナーレで私の中に強烈に残っている唯一といってもいい展示は、スイス館のトーマス・ヒルシュホルン(Thomas Hirschhorn)のインスタレーションだった。
タイトルは、「CRYSTAL OF RESISTANCE」。

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パビリオンの建物内全てを使いまくってのインスタレーション展示。
入った時まず目に入ってきたのは、たくさんの・・・綿棒。携帯電話。ガムテープが巻き付けられている。週刊誌。タイヤ。ジュースの空き缶。ペットボトル。エトセトラ。どれも、日常生活の中で使われ消費され、そして廃棄されるものばかり、彼は使っている。
しかし、入った時に目に入ってきた綿棒も携帯電話も、中に進んで彼のインスタレーションの世界に入っていくと、それらが「綿棒」でも「使い古しの携帯電話」でもなくなるのが自分でも分かる。
そこにあるのは「綿棒」でも「携帯電話」でも「消費財」でも「廃棄物」でもなく・・・彼のインスタレーション世界の、他には替えられない構成要素なのだった。そのひとつひとつが表現のエレメントに見事に変えられているのだった。こんな圧倒されるような「綿棒」を、私は今まで見たことがなかった。

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そして少し奥に入った所に見たのは・・・膨大なカラーコピーだった。
・・・目を覆いたくなるような、そして新聞でもテレビでも見たことがないような、凄惨な暴力を写した写真のカラーコピー。
路上で血まみれになって死んでいる男性。処刑されたらしい首吊り死体。お腹を引き裂かれ胎児が露出した状態で殺されている妊婦。家らしき所で共に銃殺されたらしい家族・・・。
数々の凄惨な写真のカラーコピーには、日付も撮影場所も、国や人物、事件についても、何も明記されていない。だから余計に報道写真としてではないものとしてそれらを見ている自分に気付く。
それらも彼のインスタレーション世界の構成要素だった。

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それらの写真と日用品・廃棄物のオブジェの渦巻くような世界だった。

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インスタレーションとは、ある意味説明が難しい。
言葉で「日用品を使ったインスタレーション」とひとことで言ってしまうと、このパビリオンで感じたあの「ビリビリ感」は全く伝わらない。一応ここにも載せているけれど、写真でも伝わらないだろう。
また、他の人が同じエレメントを使ってインスタレーションを行ったとしても、ヒルシュホルンの世界は、100%、できない。
インスタレーションは、空間が作品そのものだから、やっぱり、そこに行かなくてはダメなのだなあと思う。

彼の世界に足を踏み入れた人達は、そこから何を感じて出て来たろうか。
強烈な余韻を残す、スイス・パビリオンだった。
これを見られただけでも、今年のビエンナーレは私にとって収穫だった。

アートのビエンナーレも、全く門外漢の私でさえ、マーケット色が濃いとか、パビリオン形式の展示方法が今の時代にどうなのかというような話を読んだり聞いたりもする。
が、美術関係者でも批評家でも記者でもない私は、今年もそうだったように、自分が考えたこともないようなことをぶつけてくれる作品、そんな思いもかけない作品と会えたらおもしろいなあという興味で、来年もまた足を運ぶだろう。

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# by sumiciki | 2012-02-06 06:08 | 美術

ヴェネツィア在住。雑記帳ブログ。
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