ヴェネツィア・スクラップブック

最近のテレビのマイ・ブーム、「Rai5」

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          (↑ヴェネツィアのシンボル有翼の獅子、の、おしり姿。)



最近のテレビのマイ・ブームが、「Rai5」。
イタリアの国営放送のひとつ(しかしNHKと違い、CMは有り)だ。
日本にいた時よりもこちらイタリアに来てからの方が、長い時間テレビを観ているかもしれない。
観ているというよりは、ヒアリング練習にもなるので夜間は結構付けっ放しにして、ながら族感覚で見ているのだが、もともと日本でも深夜番組をよく観ていた習慣は変わらず、こちらでもよく深夜番組を観ている。

イタリアもデジタル放送になって、視聴チャンネル数も増え、国営放送Raiのチャンネルも増えた。
この「Rai5」の深夜番組、イタリアの他イギリスやフランス、アメリカ等のドキュメンタリーやルポルタージュ番組をイタリア語に吹き替えて放映しているのだが、海外の番組をいろいろ観られるのが楽しい。

もともと映画も山ほど(誇張ではなく、本当に「山ほど」)放映しているイタリアのテレビだが、深夜枠のRai5で放映される映画は、個人的にぐぐっと引き込まれて最後までついつい観てしまう映画が多い。
先日も大好きなケネス・ブラナーが主演している「La Teoria del Volo(「The Theory of Flight」、邦題「ヴァージン・フライト」)を、翌日の夜はエディット・ピアフの生涯を映画化した「La Vie En Rose」をやっていて、つい最後まで観てしまい、感動しながらそのまま床に就いた。

例えば、フランスの旅行ドキュメンタリーでは、「Con I tuoi occhi(あなたの眼で)」という番組があるのだけれど、この旅行レポーターが盲目の女性である。しかも美人。ダルメシアンを盲導犬に、「彼女」の旅行をレポートする。
それは「目の見えない人」の旅行ではあっても、「障害者」の旅行ではない。
彼女の旅行に、障害者であるタブーはない。
(別に無理をしている訳ではなく)馬に乗り、アンダルシアでは聖週間のパレードを一緒に歩き、フラメンコのレッスンを受け、アルハンブラ宮殿を見学する。
彼女の旅は、触ること、香りを嗅ぐこと、音に耳を澄ますことに満ちている。
そして様々なものの手触りや、香りや、音、それらを画面から観ているこちらに伝えてくれるのだ。
観ているうちに、私はアルハンブラも訪ねた事があるけれど、彼女のようにちゃんとここを見て来たかしら、と思ってしまう。私は彼女ほど、石の手触りを、果樹の香りを、水の音を聴いていただろうか?断然ノー、だった。
そしてもうひとつ。彼女に接する旅先での人々がなんとも自然なのだ。
もちろん盲目の旅行者を案内するのだから、手を引いて一緒に歩いたりという事はするのだけれど、一旅行者として自然に接する。
美人な女性なものだから、スペインでは会った途端案内役のおじさんに「キミ、美人だねえ」とくどかれているのには笑ってしまった。
短いながらも素敵な番組。

その他にも、イギリスのBBC系のドキュメンタリーでアジアのバングラデシュの貧困やミャンマーの軍事政権下の村落をリポートしたもの、フランスのドキュメンタリーで各地を美しい空撮で撮影しながら世界の食と地球環境をテーマにしている「La Terra Vista dal Cielo(空から見た地球)」、アメリカの「Late Show」などなど、面白い番組を色々やっていて、ついつい夜更かし。

外国(イタリア以外)の興味深い番組を色々観られるのは面白いのだけど、逆に言えば、それだけイタリアでは自国制作の番組が少ない、ということ、かも?

うーん、ここまで書いてみて改めて思うが、ながら族でつい観てしまうテレビ番組は(時間的に)すごい無駄遣い&寄り道で、結果、私の生活は寄り道だらけである。
しかし、寄り道で思いがけず見つけるものは、とても楽しいのだった。
そして今日も夜更かしは続く・・・・・・。
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# by sumiciki | 2012-04-23 20:23 | 日々の生活で

ある晴れた日の、風景


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(↑ヴェネツィアの街角にて。まだ藤の花が綺麗です。)


久々に、一日天気が良かった日。

太陽も出て暖かくなった、週末のヴェネツィア。
こんな日の朝、仕事でも船に乗るのはなかなか気分がいい。

島の北側、フォンダメンタ・ノーヴェ側のラグーナを、気候の良い週末の朝に通ると見えて来る光景。
船の修理場で自分達の舟を直してもらっている人達。
ラグーナで手漕ぎで舟を漕ぐ人達(ちなみに手漕ぎの場合、立ち漕ぎがヴェネツィア流の漕ぎ方)。
モーター付きの舟をかっとばす若い子(舟がバイク代わりである)。
水際の路を、犬と一緒に歩いている人。

そして、近くのオスペダーレ(病院)から出発した、棺を乗せた舟・・・。
この、霊柩車ならぬ「霊柩船」も、ヴェネツィアの風景に溶け込んで、ゆっくり進んでいた。
棺の上には美しい花が飾られ(白だけでなく、オレンジ色等の鮮やかな色の花を美しく飾っていた)、家族も乗せて、私達の前を船は進む。
「あの船、教会に行った後で、サンミケーレ島(フォンダメンタ・ノーヴェの向かいにある、お墓の島)に行くんだ」と私の乗る船の運転手さんが教えてくれた。

生きている人の日常の週末も、その傍らの死も、共に穏やかに水に寄り添っている、
そんなヴェネツィアらしい週末の朝の一風景が、島の北側のラグーナにはあったのでした。
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# by sumiciki | 2012-04-21 23:24 | 日々の生活で

「暖炉」の効用


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先日、イタリアはマルケ州にいる友人の実家に電話を入れた。

4月に入ってからも雨が続いていて寒い日もあり、友人のお母さん曰く、4月なのに暖炉に火を入れたのだそう。
山の方は、まだかなり寒いらしい。

3月にここを訪ねた時にも、この家ではまだまだ暖炉が目一杯、働いていた。

東京生まれ東京育ちの私にとって、暖炉というものは縁遠いものだったし、今の日本でも「暖炉のある家」は珍しい方だと思うけれど、こちらイタリアには最近建てられた家でも結構この「暖炉」がお目見えする。

山の方の寒い地域の家、しかもイタリアの家は天井が高く広い。部屋数も多いし、それぞれの部屋が広い。また、機密性の高いアルミサッシでない家もある。
そんな所では、エアコンのような、つまり室内の空気全体を暖めるような暖房器具よりも、局所的に「暖炉の周りだけ」暖める、という方法が、実に有効であることに気付く。
暖炉のある部屋しか暖まらない、もっと正確に言うと広い部屋でも暖炉の周りのスペースしか暖かくないから、自然と家族はそこに集う。家に顔を出しに来る親戚や近所の人達も、かつて知ったる、という感じですぐにその周りに腰を下ろしていく。
そこで、火を囲みつつ、そして火を絶やさないように時々暖炉をいじりつつ、おしゃべりが、会話が続いていく。
暖炉は、自然に人がそこに集まってくる、という装置、「自動人寄せ装置」(我ながら下手なネーミングだが)みたいになっているのだった。

私は経験がないけれど、日本の家にかつて備わっていた囲炉裏、それもこんな感じだったのだろうか、と思う。
囲炉裏の周りで火を囲みながら、家族や近所の人達と、暖を取りながら話に興じていたのだろうか。

それ以外にも暖炉は、「ゴミ焼却炉」としても大活躍だ。
見ていると皆、例えばキャンディーの包み紙とか果物の皮や種などを、ポーンポンと暖炉の火の中に放り込んでいく。ちょっとした生ゴミや紙ゴミ(リサイクルするほどでないもの)は、各家庭で処分できてしまう、というわけ。
他にも生ゴミや食べ残し等は、畑の肥料や家畜の飼料となるから、そんなわけでこの辺の家から出るゴミ(特に生ゴミや燃えるゴミ)は、えらく少ないのだ。

一度暖炉に火を入れると、火が消えないように常に気を配る。
私の他に誰もいなくなる時には、「sumicikiさん、暖炉の火、よろしくね」と頼まれる。
そんな時は、暖炉脇で読書などしながらも、時々新しい薪を火にくべたり、うまく火が移るように薪の位置を移動したり、灰を横に掻き集めたり、「火を絶やさないこと」を意識する。

維持とメンテナンスには、それなりの労力が必要、だろう。
薪は常に調達しておかなければならない。
ここの家では、薪を買って届けてもらうやり方。
その薪を割るのは、お父さんの役目。

そして暖炉の「煙突掃除」、これもお父さんの役目だ。
以前に一度だけ、お父さんが暖炉の煙突掃除をしているのに遭遇したことがある。
そこにいたのは、普段の貫録あるお父さんというよりはむしろ・・・・・・チムチムチェリーだった。
小さい頃によく聴いていたあの歌、「チムチムニー・・・チムチムチェリー、私は煙突掃除屋さ~ん」の彼である。(今でもこの歌、流れているのだろうか?私の記憶では、『おかあさんといっしょ』だったか『みんなのうた』でよく聴いていたのだが。)
その歌の中に、「足の先か~ら頭~まで~、煤をかぶってまっ黒~け~」というフレーズがあったのだが、初めてナマで見た。本当に足の先から頭まで、煤をかぶってまっ黒けの人(改めて読み直すと、歌詞そのまんまである)。
このメンテナンス・フリーが謳われるご時世に、暖炉のメンテナンスってなんとまあ大変なのだ、と、このまっ黒けな人を前につくづく感じ、また小さい頃に聴いた「チムチムチェリー」がこの時初めて映像としてリアルにイメージされたのだった。

面倒なことは諸々あるだろう。
しかし、手入れが楽なものばかりを追っていると、きっと上に書いたような暖炉の効用は失われていくだろう。

「火」というものの存在と、「暖炉」というひとつの暖房器具の効用に、しきりと感心したのでした。

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# by sumiciki | 2012-04-16 23:39 | 日々の生活で

ここの「聖フランチェスコ教会」に聳えるものは・・・

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イタリアはマルケ州、アスコリ・ピチェーノという街に時々行くのだが、その街に「サン・フランチェスコ教会」という教会がある。
13世紀後半にゴシック様式の教会の建設が始まり、クーポラが完成したのが3世紀後の1549年、アブルッツォ地方の13世紀後半のスタイルをそのファサードに残しているという。

有名な聖人「アッシジの聖フランチェスコ」を祀った教会であるし、聖フランチェスコはイタリアの守護聖人でもあるから、この名前の教会はイタリア中星の数ほどあり、教会の名前自体は珍しくない。
しかし。
この街の聖フランチェスコ教会は、ある意味でスゴイ。
おそらくこういう教会は、イタリア中探してもここだけではないか。
なぜスゴイのかというと・・・・・・
教会の第二鐘楼の所に、広場に向かって(つまり市民がよく眺められるようにして)「男性のシンボル」が、ボーンと屹立しているのであった。

写真では見難くて、申し訳ない(ズームがあまり利かないカメラだったのだが、まあ逆にリアル過ぎなくてよかったか・・・)。
写真でいうと真ん中、左の緑がかったクーポラのすぐ右にある鐘楼(小さな方)の手摺り状になった部分に、「ソレ」はリアルな形で、天に向かって立っているのだが・・・目を凝らして写真を見ていただくと、見えるだろうか(嫌な方は無理に目を凝らして見ていただかなくてよいですので・・・失礼しました)。広場側から眺めると小さいが、近くに行ったら結構な大きさだろう。作り手の意気込み?がひしひしと伝わってくる作品、である。

この教会、アスコリの街の中でも市民が集まる広場がふたつあって、そのうちの一つ、「ピアッツァ・デル・ポーポロ(Piazza del Popolo)」、その名も「人民広場」に建っている。かつては「政治・宗教・商業」の3本柱であった広場だ。その「宗教」の柱が、この聖フランチェスコ教会だった。
街の人達は、この「屹立したモノ」を視界に収めながら、日々楽しくカフェやアペリティーボをしながらおしゃべりを楽しんでいるのである。

なぜまたこのようなモノが、聖なる教会に?というわけだが、
複数の地元の人の話によると、
その昔、教会の施工をした職人達に教会が施工代を支払わなかった。
それに怒った職人たちが「チクショー(←これ、仏教用語ですが、多分こんな感じ)」と、ある日この「ブツ」をおっ建ててしまったのだそうだ。
やる事がストレートというか、オチャメというか、あけっぴろげというか・・・(絶句)。

ちなみにイタリア語では(語学学校では決して習わないけれど)、よく「なんてこと言うんだ」とか、「なんてことするんだ」、という様なニュアンスを言う時に、スラングの様な感じでこの「男性のシンボル」の単語を会話に入れる。男性でも女性でも。
だから、中世の職人達も、もしかしたら「なんてことしやがるんだ」という言い回しそのままに(もし当時もその様な表現を使っていたら、ですが)、その「モノ」をそのまんまくっつけてしまったのか・・・。
もしそうだとしたら、あまりにもストレートである・・・あまりの捻りの無さが、却って気持ちいい(と思うのは私だけだろうか)。

ここで私が感心(?)するのは、
「突然建てられた男性のシンボルをそのままにしておく教会側」である。
それも何百年の間、そのままなのである。
作る方も作る方だが、そのままにしておく方もしておく方である。
なんとも大らかな・・・。
少なくとも今の時代、撤去しようと思えば壊すのは簡単なことだと思うのだが。ひょっとしてまだ施工代を払っていないのか?「確かに我々、代金払わなかったからな・・・」と教会が認めてそのまま何世紀も放置しているのか。そうだとしても、その真摯な?姿勢に感心する。
しかし撤去しなかった教会の大らかな態度の結果、昔のそのエピソードはその「記念品」と共に街の記憶として残り、今も市民の前に残っているのであった。
いずれにしても、これが突然自分達の教会に建てられたことを発見した時の教会の司祭さん達の驚きを想像すると・・・楽しい。

きっと今ではもう、教会のシンボルみたいになって街の風景に溶け込んでいるので、逆に撤去するにもできない状況なのかもしれない。
それだけ「市民広場」で市民に愛されて(?)いる、このシンボルなのであった。

ちなみにこれについて日本語のサイト等の観光情報をいくつか探してみたけれど、見つからなかった。
が、イタリア語の「アスコリ・ピチェーノ」のガイドブックを読んでみたら、ちゃんと出ていた。
しかしエピソードについての記載は無く、そこには「(男性のシンボルは)古くから力と多産(肥沃)のシンボル」とも書かれていたが・・・。たしかに、そうとも言えるか。真のエピソードはどうなのだろう。気になる。

聖人フランチェスコも、天国からぎゃははと笑ってこの景色を眺めているだろうか。
みなさんももしこの街を訪れる機会があったら、広場でカフェでもしながらこの「シンボル」をゆっくり眺めてみてはいかがでしょう。
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# by sumiciki | 2012-04-14 23:45 | イタリア(ヴェネト州以外)

「包む」 ということ

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先日、日本の友人から日本のお菓子が届いた。
開けた瞬間、「わおおおー」と思わず歓声。
包みが、なんとも美しかったのです。
美しい濃目の藤色の包装紙の上に、白地の熨斗紙にはこの季節の桜の樹と散る桜の花びら、そして月か太陽か(おそらく月でしょう)が描かれて。そして紅白の水引。
品を包む、その品の「周り」の部分に季節の美しさを添えて相手に差し上げる、というその心が、海の向こうから久しぶりに私に届いて来たのだった。

きっと日本のデパ地下(←イタリアにはこのデパ地下食品街が存在しない。ちなみにヴェネツィアにはデパートすら存在しない。ので、この単語もちょっと懐かしい)のお菓子売り場では、このような包装はいくらでもお目に掛かれるだろう。
それだけこのギフト用「包装文化」は当たり前なことなのだけれど、
それがこちらではかなり珍しい、というか、習慣としては無い、といっていい。

こちらイタリアでも、お店によってはギフト等にとても美しい包装をする所も勿論あるけれど、習慣的には基本的に「ムキダシ」文化、である。

例えばお金(お礼でも、貸し借りしたお金でも)を渡す場合にも、基本は剥き出しで、包まずにそのまま渡す。
ということが、別に相手に対して失礼ではない、ということだ。

「品そのものを剥き出しで相手に渡す」という行為が「生々しい(=基本的には相手に失礼)」と感じるのは、日本独特なんだなあ、所違えば違うものだ、と日々の生活で感じている。

それは「包む」というだけではなくて、贈答に関するアクションの違いにも通じている。
例えばプレゼントを渡した時、日本では基本的にはその場では開けずに頂くだけにしておいて、後で開けてお礼を改めてお伝えする、というのがある。(親しい友達同士ではまた別だろうけれど)。
一方でこちらでは、その場で開けて直接本人に喜びを伝えるのが基本。ストレートなのである。

しかも、「ラッピング」に対する心配りは殆ど欠如しているので、
私が包んだギフト包装が、目の前で相手にビリッ!!ビリビリッ!!と、見事に引き裂かれる。そして包装紙は、これもまた目の前で、くしゃくしゃ、ぽい、である。
もちろんこれは失礼な行為でもなんでもなく、私ももちろん非難している訳では全くない。
しかし、何年こちらに住んでいても心のどこかでは「日本では、この引き裂き方&くしゃくしゃぽい、は無いよなー」と眺めている自分がいる。
これが、習慣の違いというものだろうなあ、と思いながら。
そして、日本で生まれ育った私から、この感覚がなくなることは無いんだろうと改めて思うのだ。

これは「包む」か「包まないか」というだけのことではなくて、
「相手をリスペクトする心」を、どんな形で表しているか、という違いなんだろう。

そういえば思い出すのが、映画「ラブ・アクチュアリー」の中の1シーン。
お店でアクセサリーを買った主人公の一人の男性が、急いでいるのに(確か妻と一緒の買い物の最中で、妻がいない間に愛人の為のプレゼントを買っていた)、ローワン・アトキンソン(あのお馴染み「ミスター・ビーン」の俳優さん)扮する店員が「日本風」に丁寧過ぎるラッピングをするので、時間がかかって待たされて主人公がドキドキハラハラする、というちょっと笑ってしまう(しかもアトキンソンが相も変わらずすっとぼけている)シーンだったけれど、ここにも日本独特の「包む」が、おもしろおかしく演出されていたのだった。

こちらイタリアに住む日本人にとってはつまらない内容だとは思いながらも、
春のある日に日本から届いた美しい包装から、少しだけ日本の「包みに託す気持ち」とこちらとの違いを考えてみたのでした。
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# by sumiciki | 2012-04-13 23:30 | 日々の生活で

アックア・アルタ ならぬ 「アックア・バッサ」 について

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ヴェネツィア名物、アックア・アルタ(acqua alta:高潮。水位が上がり、街のあちこちで浸水が起こる現象。潮の満引きやシロッコという南方から吹く風などの影響を受けて起こる)。
ここ数日、「黄信号」だった。
「黄信号」というのは、横断歩道の信号と一緒で、「注意」という程度。
サンマルコ広場辺りは地面のレベルが低い所のひとつだから浸っているだろうけれど、まあ他の、それほど地面レベルが低くない場所は浸水の問題ナシ、という感じだ。
ちなみに我が家は黄信号なら問題ナシ。
(ちなみにこの水位情報は、登録をすればメールが日々届く。そして一定以上の水位が予想される場合は、携帯メールにも通知が届くようになっている。)

しかし、今年はこのアックア・アルタ、珍しいほど少なかった。
船や水上タクシーの運転手さん、そしてゴンドラを日々漕いでいるゴンドリエーレの人達と話をする時、「今年はアックア・アルタが少なかったねえ」という話と共に、皆口を揃えたように「それにしても今年は・・・低かったなあ」と、やられたねえ、といった感じで言う。もちろん、水位が、である。

アックアアルタという現象は、ヴェネツィアに住んでいない人にも、世界的にそれなりに知られている。ヴェネツィア独特の珍しい現象だし、水に浸ったサンマルコ広場などはなんといっても絵になるので、テレビや写真でその映像をご覧になった方も多いのではないだろうか。

一方でアックア・バッサ、直訳すると「低い水」、つまり低水位というこちらの減少は、住民はともかく、あまり知られていない。
まず第一に、全然絵にならない。だから、映像報道もされない。
サンマルコ広場ももちろん変わりなく水にも浸らないし、ヴェネツィアの街を歩くだけの人にとっては、全然関係がない。

しかし、前述の船関係の人達の「やられたなー」感が示すように、水上交通、特に中小の運河を使う人達には、相当やっかいなシロモノなのである。

例えば少し高い時の水位が80㎝だとする。アックア・バッサで低水位がマイナス40㎝とする(どちらも測定基準点より)。その差、120㎝。
小さな船着き場や、家やホテルの(中小の)運河に面する入口などから、自家用ボートや水上タクシーに乗り込む場合、120センチの水位の違いがあると、これは年配者には特に(もちろん年配でなくても)なかなかしんどいものがある。船に飛び込むようにして乗り込む場合だってある。

細い運河の場合、運河の掘込み形状はカーブ状であるから、アックア・バッサになればなるほど、船が通れる部分(水のある部分)は、どんどん少なくなっていく。
結果、「水位が低くて、目的地まで船が辿り着けない」、ということが出て来る。
これがなかなか厄介。

例えば、ある旅行者が水上タクシーで細い運河に面した目的のホテルに行こうとする。
水上タクシーの運転手は、「今はホテルまでは行けない」、と言う。
理由は、「水が低いから」。
旅行者には、よく意味が分からない。水位が高くて(アックア・アルタ時)低い橋の下を水上タクシーが通れないならまだしも、(一見)水はあるし橋の下だって通れる。それなのに運転手は行けない、と言うのだから。
「何で行けないんだ!」「だから~・・・」という問答に、なる。
結局物理的に船では辿り着けないので、少し離れた場所でタクシーを下ろされ、いくつかの橋を、スーツケースをガタゴトといちいち運びつつ、汗だくでホテルに到着。こんなはずでは・・・。
以上のようなケースが、度々展開されることになるのです。旅行者の方は、ご注意を。(水上バスを利用するには問題ありませんが)
それも時の運みたいなもので、潮が引けば、その後は満ちて行くので、2~3時間も待てば別に問題なく、水上タクシーは目的のそのホテルに到着するのだが。つまりアックア・バッサの時に移動したその旅行者がアンラッキーだった、としか言いようがない。

水上バス(ヴァポレットという)の停留所は、水に浮いている。水上バスを待っている間、ゆーらゆらと揺れている感じを憶えておられる方も多いのでは。
このバス停、浮いていることで水位が高くても低くても、水位に合わせて上がり下がりすることで、乗船時の段差をうまく解消しているのである。

要するに、運河の水は生きている、ということだ。
アックア・アルタばかりが知られているけれど、水が満ちれば当然その後で水は引くのである。
そして、そのどちらも受け入れた上で、ここヴェネツィアの水上生活は成り立っている。
不便と言えばそれまでだけれど、それも全て受け入れての、これが運河の街での生活の一面、である。
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# by sumiciki | 2012-04-11 23:45 | 日々の生活で

「ヴェネツィア・ミステリーガイド」


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市口 桂子著  白水社

少し前に友人から拝借し、楽しく読んだ本。

まずは、この本の著者の市口さんに拍手。
彼女はボローニャ在住の方、らしい。
それなのに、こんなに充実した内容のヴェネツィアの「別の一面」に光を見事に当てて一冊の本を書き上げている。
私などはヴェネツィアはそれなりの期間住んでいながら、この本を読みながら「ほええー、そうだったのか!」と、ふむふむ言いながらボローニャ住まいの市口さんにいろいろ教えていただいた形になった。
私にはとても、「ヴェネツィアに暮らしながらボローニャのミステリーガイドを書く」といった芸当はできない。

ヴェネツィアの街には、いろいろな「コト」が隠されている。
それは歴史であったり、著名人のエピソードであったり、市民の生活であったり、政治の裏、だったり・・・。
この街に暮らしていながら普段気になっていたけれど、なかなか自分では調べられなかった、そんな興味深い「ミステリー」の数々が、ここには色々と詰まっている。

まずおもしろいのは、「4泊5日」と日程を設定していること。
それにしても内容が、一般的なガイドブックとはあまりにもかけ離れている。
もし、某社の「る○ぶ」を持ってヴェネツィアを廻った人と、この本を参考にヴェネツィアを廻った人が、旅の後でこの街について話し合ったとしたら・・・。まるで別の街に滞在したように、話が噛み合わないのではないだろうか?
と、そう想像させるほどの「これもヴェネツィア」、が描かれている。

そしてこの本独特のおもしろさというのが、所謂ガイドブック的なスポット紹介ではなく、4泊5日に設定した工程に合わせて、一日一日、行き方の案内も丁寧に、「文章」で読者をヴェネツィアのミステリーの世界に誘っていること。
ミステリー、といっても、推理小説のようなものではもちろんなくて、ヴェネツィアのいくつかの歴史や人物を追っていくと、それがミステリーなのだ、と読者は納得するのだ。

読んでいるうちに、まるでこちらも著者と一緒に、例えばサンミケーレ島の墓地を歩き、昔のペストの検疫施設の跡を眺め、ある広場ではかつて斬首された元総督の亡霊を見、牢獄ではカサノヴァの脱獄劇を追っている気になってくる。
特に、歴史の中で、今日では廃れた感の漂う場所の表現・描写には、なんともいえない空気が文章から漂っていて、ヴェネツィアのこの空気を、ボローニャから来て書き上げた著者の筆力に唸らずにはいられなかった。

ヴェネツィアの他にも、ローマとフィレンツェについてのミステリーガイド、が刊行されているそうだ。
気になる人は(もちろん私も)・・・それは読んでのお楽しみ、ですね。
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# by sumiciki | 2012-04-10 21:34 |

パスクア in ナイジェリア

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カトリック国イタリアでは、今日はパスクア(復活祭)、キリストが復活した日を祝う移動祝日だ。
ヴェネツィアの街でも、多くの教会でパスクアのミサが執り行われ(ヴェネツィアでは就任間もない新Patriarca:総大司教が、サンマルコ寺院でミサを行った)、
朝からテレビではミサの中継。
そしてヴァティカンでは、日刊紙「ラ・レップブリカ」の報道によると、サンピエトロ広場には10万人の信者が集まり、ローマ法王の声に耳を傾けたという。

カトリックにとってこのように重要な祝日であるパスクア。
しかし一方で、これも同上「ラ・レップブリカ」によると、ナイジェリアでは北部のKadunaと中部のJosという街で、教会の近くで2つの爆弾が炸裂し、現在39名の死者が確認されている。
もちろんテレビのニュースでも報道された、「ローマ法王が『流血はもうたくさんである』と声明を出したにも拘わらず」、という前置きと共に。
犯行声明は(今のところ)無いという。
しかし、ボコ・ハラム(Boko Haram:ハウサ語で「西洋式の非イスラム教育は罪」という意味があるらしい)というイスラム過激派が既にパスクアの聖週間の間のテロを予告しており、彼等はクリスマスにもキリスト教徒を狙った爆破テロを行っている。

カトリック、そしてキリスト教徒にとっての重要な祝日が、その同じ日が、また別の人間にとっては恰好の襲撃日和としての意味を持つ日である、という現実。
そして、同じカトリック信者でも、国が違えば今日もどこかで血が流れている、という現状。
そして、このままでは今後もクリスマスにもパスクアにも、悲劇が起こり続けるであろう、という懸念。

イタリアはカトリックの国だから、当然世界各国のカトリック(そしてキリスト教)に関する事件などのニュース報道が多い。
日本に暮らした時にはそれほど目に耳に入って来なかった報道が、ここイタリアで暮らしてから(そしてこの歳になって遅まきながら)「こんな事が起こっているのか・・・」と日常生活の中で飛び込んでくるようになっている。

「宗教」「信仰」という単語を使うと、私などにはそこに含まれるものが何とも大き過ぎて思考がそこでストップしてしまうので、
私なりに少しでも考えるために、例えば・・・「(何かを)信じる気持ち」と、(具体的に、)置いてみる。

ここイタリアでは同じ「信じる」人々は、例えばミサに出席するにあたって、自分が今日そこへ行くことで命を失う可能性があるかもしれない、とは殆どの人が考えないだろう。今日のイタリアで、環境的に、その危険度は極めて低い。
一方で、彼の地でミサに足を運ぶ人々(そしてミサを執り行う人々も)の頭の中にはきっと、自分の命が狙われているかもしれない、という想像(そして覚悟)があるだろう。恐らく殆どの人に。
それでも彼等は個人で、あるいは家族と共に、この日のミサに参加するために家を出て行くのである。
それは信じる気持の「強さ」という一言で片付けられるものであるのかどうか。これだけ環境の違う中で、果たして信じる気持は同じで有り得るのかどうか。そして、それでも彼等に足を運ばせ続けるものとはなにか。そして彼等を個人的恨みでなしに襲わせるものは何か。

ニュースはもちろんそこまでは教えてはくれないので、私などには分からない事だらけで、我ながら自分の「考え力」の無さに呆れてしまうのだが、
それでも今日のこの祝日に、自分の見たことも行ったことも無い土地で起こっている事に思いを置かずにはいられなかったのだった。

ここイタリアでは、このパスクアの日、教会のミサに参加し(しない人もいるだろうしテレビで観る人もいるだろう)、家族とこの日の為の料理(アニェッロ、仔羊の肉が多い)を食べる為に共にテーブルにつき、子供達は卵の形をしたチョコレートに喜ぶ。
しかし彼等も、私よりもずっと長いこと、日々の報道で、自分達の信じるものに対する攻撃が存在することを知っている。大切な人と共に食卓につける幸せを、彼等は私が想像するよりも強く、感じているかもしれない。
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# by sumiciki | 2012-04-08 23:30 | 日々の生活で

復活祭前日のメルカートで惨敗

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イタリアは、明日が移動祝日パスクアと呼ばれる復活祭。
キリストが復活した日を祝う日、である。

冬のクリスマスが一大イベントというのは想像がついていたのだけれど(日本でも大きなイベントになっているし)、
復活祭という祝日がここイタリアでこんなに大々的な祝日とされているとは、
こちらに住み始めてから知ったこと。
まるで「春のクリスマス」、みたいだ。
しかし考えてみたら、クリスマスはキリストがこの世に生まれた日、そして復活祭は一度は十字架の上で息絶えたキリストが復活した日なのだから、この2日は共にカトリックにとって特に重要な祝日、というのは当然なのだった。

そういえば日本では、クリスマスはイベントして浸透しているけれど、復活祭はそこまで浸透していない。・・・何でだろう?

そのパスクアの前日、お肉と野菜を買い出しにリアルトの市場に来てみると・・・人混みでスゴイことになっていた。

ただでさえ土曜日は混んでいるのに(週末の上、日・月曜日が市場が休みなので)、パスクアの家庭料理に向けて、市場全体が熱気ムンムンになっている。

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いつも行くお肉屋さん(そこの肉屋のファンである)には、外まで人が溢れ・・・。
とても時間内に買える状態ではなく(その後に仕事が入っていたので時間制限付きだった)、無念にもスゴスゴと引き返す。
それにしても、ここの肉屋、別に特売をしているわけでもないし、特に高級肉屋として有名なわけでもない(お肉はとても美味しいけれど)。
いわゆる普通のお肉屋さんだが、外まで人が溢れて行列している「普通の肉屋」って、結構珍しい風景ではないか。
小売店が地元の人達にちゃんと支えられて賑わっている活気、それが今日は復活祭を前にしたヴェネツィア人の胃袋に火が付いていて、特にヒートアップしている感じだ。

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いつも行く八百屋さんにも足を向けたが(ここの八百屋もファンである。写真とは別のお店ですが・・・)・・・ここも混んでいて退散。

昨日のうちに買い出しをしておけばよかった・・・。

復活祭前日の、賑わうメルカート(市場)からのリポート、でした。
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# by sumiciki | 2012-04-07 23:07 | 日々の生活で

「肉のフィレンツェ」が好き

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フィレンツェは「ルネッサンスの街フィレンツェ」、かもしれないが、
私にとっては何と言っても「肉の街フィレンツェ」、である。
ルネッサンスより、まず肉。

日本にお住まいの方にはイマイチピンとは来ていただけないかもしれない、この肉への渇望。
その背景には(ちょっと大袈裟だが)、イタリア料理の地域性がしっかりと根付いている。

私が暮らすのはアドリア海に面するヴェネツィアだから、名物は魚介料理ということになる。
もちろん外食する場合にも肉メニューは、ある。
ミラノ風カツレツとか、タリアータ(ビフテキ)とか。
そうそう、仔牛レバーのヴェネツィア風煮込みというのはこの街の一品としてあるけれど、
なにしろ魚介料理メインの街だから、肉料理のバリエーションといっても、タカが知れている。

結果、慢性肉欠乏症に陥る。
欠乏症といっても自宅で肉は料理して食べているので、決して肉が栄養的に「欠乏」している訳ではない(むしろ私はかなり食べている)。
この場合の「欠乏」とは、「外食で美味しい肉料理をたらふく満喫することの欠乏」、なのである。
そしてこの欠乏感は、かなり辛く激しい。朝から晩まで慢性的に我が全身を蝕む(さすがにこれは大袈裟か)。

これは、裏を返せばイタリアではそれぞれの地域や街がかなり当地の料理において「肉」だったり「魚」だったりに特化していることの証であり、また物流を通じて「お取り寄せして他の地方の料理を楽しむ」気質が殆ど育まれていないことの表れでもある。

・・・思わず力が入って、なんだか大層な前置きになってしまいましたが、
そんな訳で、私は用事や仕事でフィレンツェに行く機会があると、ここぞとばかりに肉を食べる。というより、食べまくる。
例えば午前中から中央市場を訪ね、市場の中で牛肉の煮込みと牛モツのパニーノを。
一般的なイタリアの朝食はクロワッサン(イタリアでは「ブリオッシュ」と呼ばれている)とカフェだから(そして私も普段ヴェネツィアではこれが朝食スタイル)、朝から肉二品というのは、我ながらどれほど肉に飢えているかを実感して少しゾッとする。

夜も大抵は美味しいタリアータ(ビフテキ)を探すことが多い。
ヴェネツィアは「歩く」街なので、足腰は日頃から大分鍛えられているから、妥協せず、ただただ歩いてヒットしそうな店を探し続ける(ガイドブックを持っていない、ということもあるが・・・)。

先日フィレンツェを訪ねた時にも、仕事で一人だったのだが、できるだけ嗅覚を研ぎ澄ませて美味しそうなお店を見つけ、連れの人同士のおしゃべりで賑わう店内で一人、タリアータを注文、ガシガシ食べて来た。うーん、美味しかった、大満足。

メニューをチョイスする時も必死である。
次回外食で美味しい肉料理にありつけるのはいつになるか分からないので、感覚を研いで余念を払いメニューに臨む。
この日は我ながらナイスチョイスで(自画自賛だが)、タリアータ(ビフテキ)のオレンジソースがけが、付け合わせのオレンジスライスの彩りも美しく、ルッコラの緑色と色のコントラストを奏でつつ、全体がフォッカッチャの上に盛られているという、見た目にも美しい一品。ソースの浸み込んだフォッカッチャがお腹にもたまって、大食の私の胃袋も満足。
これはなかなかヴェネツィアではお目にかかれる一品ではない。
ちょうど隣りのテーブルでメニューを眺めていた地元の若い子達のグループの女の子が、私の席に運ばれて来たタリアータを見た途端に目を瞠り、すぐに同じ料理を注文した。内心やったりと喜ぶ(また自画自賛)。

こうして今回もまた、次回再び肉の街フィレンツェを訪れる機会を楽しみにしつつ、ヴェネツィアへ戻って来たのだった。
それにしても、「ルネッサンス」はどこへ・・・。またそれは次回に(あるのだろうか)。

フィレンツェの肉料理といえば、ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ(所謂Tボーンステーキ)等が有名だけれど、この街は肉料理全般が充実した街。
観光でおいでの方も、是非ご自分の嗅覚で美味しい肉料理を発見してみましょう。
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# by sumiciki | 2012-04-04 00:03 | イタリア(ヴェネト州以外)

ヴェネツィア在住。雑記帳ブログ。
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