ヴェネツィア・スクラップブック

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植草甚一Works6 「イタリア映画の新しさを伝えたい」

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植草甚一さん、という人がいた。「J・J氏」という愛称で知られた、欧米文学やジャズや映画の評論家。

学生の頃読んだ彼の評論やコラムから、様々な作家や映画やジャズを教えてもらった。
私の大好きなイタリア人作家イタロ・カルヴィーノの名も作品も、植草さんの本を読んで知った。その時からいつかはカルヴィーノの著作を原文で読みたい、と思っていたから、今私がイタリアに住むきっかけのひとつは、植草さんによって種を蒔かれた、とも言えるかもしれない。

この植草さんという人、いわゆる中年の頃の植草さんの写真はちょっと太めの「どこにでもいそうな」おじさんなのに、歳を取ってから(胃の手術後に大分痩せられた)の写真を見ると、およそ「どこにもいない」おじいちゃんに変貌を遂げる。
その写真がとにかく素敵なのである。
イケテる(←彼が着ると)Tシャツに帽子にジーンズ、そして何よりも目が、この人はおじいちゃんになればなるほど、キラキラピカピカしてくるのである。
スゴイじーさんがいたものだと当時学生だった私は写真を見てうーんと唸ったものだった。

私が評論やコラムを読んでいた頃は既に故人となられていたので、リアルタイムで読んでいたのではない。
晶文社からかつて発刊された「植草甚一スクラップブック」シリーズは新書を扱う本屋では既に絶版で、計らずも植草さんが好きだった古本屋に私も足を運ぶようになったのだった。
新刊本とはまた別の世界が、それは値付けという評価も含めて、古本屋にはあるのだとその時に知った。
古本の植草さんのシリーズは、当時学生だった私にはなかなかの値段だったので、少しずつ、社会人になってからもボチボチと、古本屋で見つけると買い集めて読んで来た。
それらのシリーズも、復刻版のリクエストが多かったのだろうか、既に大分前からお求めやすい値段で新書店に並んでいる。

その植草さんの映画評、中でもイタリア映画だけを集めたものが、近代映画社から「植草甚一Works6 イタリア映画の新しさを伝えたい」として刊行されている。映画雑誌「スクリーン」に掲載された文章を書籍化したもの。

イタリア映画の「新しさ」といっても、それは執筆年代の(なんと)1940年代後半から1960年代のこと。
植草さんは終戦後まだ年も経ない時期からイタリア映画の傑作を次々に紹介しているのだ。
彼のワクワクするような文章を通じて、当時の黄金期イタリア映画の新しさというものが、まるで自分もリアルタイムにそこにいるかのように、実感として迫ってくる。この感覚はなんとも楽しい。

作品としてロベルト・ロッセリーニ、ヴィットリオ・デ・シーカ、ピエトロ・ジェルミ、ルイジ・ザンパ、ジュゼッペ・デ・サンティス、アレッサンドロ・ブラゼッティ、ルキノ・ヴィスコンティ、マウロ・ボロニーニ、フェデリコ・フェリーニ、脚本家としてのパゾリーニ。俳優陣に、ヴィットリオ・デ・シーカ、アリダ・ヴァリ・・・。
今では「大巨匠」という大前提で語られる監督や俳優陣が、ここでは「こんなスゴイ人が出てきているよ」というリアルタイムの言葉で語られている。

植草さんの文章を読んだことがある方はご存知かと思うけれど、植草さんの文体には独特のスタイルがあって、それがきっと当時の若者の間の人気に火を点けたのだと思うけれど、しかしその文体も、最初からそうだったわけではない。それがこの本に(章毎に)時系列に並んだ文章を読んでいって改めて分かる。
後半の方になって、「あ、きっとこの頃からあの写真のようなキラキラしたじーさまになって来ているのでは」とこちらも想像しながら読んでいった。

年が経ち、私がイタリアに暫く住んでもなお、今は亡き植草さんは私に色々なものを伝えてくれる人なのだった。


「植草甚一Works 6 イタリア映画の新しさを伝えたい」 (Screen Library 006)
著者:植草甚一
発行:(株)近代映画社
価格:1800円+税

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by sumiciki | 2012-03-21 21:44 | 映画・舞台など

2012年3月11日、イタリアの新聞記事


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あの、東日本大震災から1年が過ぎた、2012年3月11日。

当日はこちらイタリアのテレビでもいくつか特別番組が放送されたようだ。テレビニュースでも、被災地での追悼式や天皇皇后両陛下が列席なされた東京での追悼式典の映像などと共に報道していた。
ただ私は、あいにくその日はヴェネツィアを留守にしており、長い時間テレビやインターネット等をチェックできる環境になかったので、せめてもと思い日刊紙「コリエッレ・デッラ・セーラ」を買い、震災から一周年の日本に関する記事を探した。

・・・復興に取り組む人々のこと。原発に対する数々のデモが続いていること。南三陸ではこの地を離れる人口が増加(約2200人減とあった)、だが製造業の85%が無に還った状態で、仕事を無くした人々はその地を離れざるを得ない現状のこと。漁業と船舶が受けた甚大な被害のこと。被災地の方々が願う「安定した生活」のこと。被災した方々の精神的なトラウマのこと・・・。
一紙面の4分の3程を割いて、いくつかの写真と共に掲載されていた。

掲載されていた写真は、震災直後の気仙沼の瓦礫の原と化した写真と今日の(瓦礫が取り払われた状態の)同じ場所の写真。大船渡の仮設店舗。津波の被害を生き延びた1本の高い松の木(陸前高田)。南相馬で2人のお坊さんが雪の原に祈っている後姿。

記事全体からの印象としては、正に文字通り「震災から一周年」、一年前の震災被害とその復興に焦点を当てた内容で、原発問題について書かれている部分は、それに対しデモが繰り返し行われているという記述程度で大分少ない、と感じた。
放映時間の長い特番などでどこまで詳しく穿って日本の現在の原発問題を扱っているかは、見ていないので何とも言えないが、全国紙の新聞記事レベルでは「震災復興」に比べて日本が抱える「原発」という大問題のウェイトは少ない気がした。

日本が抱えるこの人類共通の大問題は、他の国々にどの様に、そしてどれほど、伝わっているのだろうか。
それが記事を読んだ後、強く感じたこと、だった。
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by sumiciki | 2012-03-16 01:16 | 日本

ブリオン・ヴェガ墓地とスカルパのお墓

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墓地の設計、というのは、設計者にとってはある意味理想的な仕事ではないだろうか。
ここを訪ねる度に私がまず思うのは、このことだ。スカルパさん、よかったですねえ、と。

トレヴィーゾ郊外の、サン・ヴィート・ディ・アルティヴォーレという小さな街に、ヴェネツィア出身の偉大な建築家、カルロ・スカルパ設計の「ブリオン・ヴェガ墓地(Cimitero Brion-Vega)」がある。
1970年から75年にかけて、約2400㎡という広大な敷地に造られた、イタリアの電機メーカー、ブリオン・ヴェガ社の社長一族の墓地。

墓地というのは、所有者一族が基本的には変わらないから、一般建築物のように、例えば好意的な発注者がいなくなった後に、経済的な理由などで取り壊しや改築の憂き目にも遭うこともない。
始めから、発注者が亡くなった後での、永遠の住処の設計を依頼されているのだから。

一方で、例えば、同じくスカルパの作品でも、ヴェネツィアのサンマルコ広場に面する彼の設計になる「オリヴェッティ・ショールーム」は、最近になって再度公開されているが、その前は暫くの間クローズしており、更にその前には画廊が入っていたため、オリヴェッティ社プロダクトのショールームという当初の設計の目的とは異なる品々が展示されていて、そこの店の前を通りがかる(そしてまた時々中に入る)度に、私は建物のデザインと内部展示の何とも言えないちぐはぐ感と、人手に渡った建築の変遷を感じずにはいられなかったのだった。
その点、墓地というのは、なんとも理想的な仕事と言えるのではないだろうか。

スカルパの代表作のひとつであるこの墓地については、多くの建築関係の書籍などで詳しく紹介されているので、詳しい説明はする必要もないと思う。そしてまた、彼の建築言語とでもいうのか、ここを訪ねた人はそれを体中で感じることができるだろう。
イタリアの、そしてヴェネツィアやその周辺の街の古い街並みの中に生まれ育った彼の中に、どうやってこのような建築の概念が育まれていったのか・・・。

ただ、(これも現地を訪ねれば一目瞭然なのだけれど)建築関係やスカルパ作品を紹介している本では、スカルパの設計した、ブリオン一族の墓地の部分しか写真に写っていなかったり、その部分だけを紹介しているのだが(まあ当然なのだけれど)、
実際にはブリオン家一族のための、この広大な敷地の手前に、他の一般の人々が眠る市民墓地が広がっている。
つまり、一般の墓地の奥に、特別扱いのブリオン家の広大な墓地空間が広がっている形になる。

先日私がここを訪ねた時にも、建築を学んでいるアジア系の学生の団体さん、そして数組の2~3人の個人客が訪れて写真を撮ったりしていた。

その地の墓地には縁も所縁も無い多くの人達が、一般の墓地には見向きもせずに奥の一部の墓を訪ねて見学し、手前の一般墓地では(たまたま日曜日の午前中だったこともあり)家族や先祖の墓に花を手向けている人達がいる。亡き個人を供養する人と、墓地を見学する所縁の無い人達が同じ敷地を行き来している光景は、少し引いて考えてみると、ちょっと風変わりだなと思う。

この地でガイドをしているイタリア人の知り合い曰く、スカルパは墓地空間を(それまで一般的だったものとは違って)悲しみの空間ではなく、庭園~それも瞑想的な空間、水のある空間、静謐な空間を伴った~のような空間にしたいと考えたのだと言う。
確かにそれは実現され、今なお現存している。
そしてこのスカルパの傑作のすぐ脇では、所謂「伝統的な」「一般的な」墓地で、地元所縁の人達が、亡き個人の墓石に花を供えて祈っているのだった。

ちなみに、このブリオン家のお墓のすぐ近く(でも仕切り壁で隔ててある)に、設計者スカルパのお墓もある。
こじんまりとした、美しいお墓だと、いつも思う。
前述の知り合いのガイドによると、ヴェネツィア出身であるスカルパは、一般的には遺体は水平に埋葬されるものだが、彼がここに埋葬される時には「ヴェネツィアの街を下で支えている木の杭のように」垂直に埋葬されることを望み、実際そうされているのだという。

ヴェネツィア出身の彼が、自らこの地に眠りたいとブリオン家に頼んだのだという。
出身の地を離れてでも、自分がその脇で眠りたいと望むほど、それだけこの地とこの作品をスカルパは愛していたのだろう。その死地は、私には羨ましくもある。

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by sumiciki | 2012-03-03 23:08 | ヴェネト州(ヴェネツィア以外)

漢字ブギウギ

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ヨーロッパの他の国に洩れず、イタリアでもタトゥーが流行っている。
イタリア語でTatuaggio(タトゥアッジョ)、という。

そしてまた、何でだか漢字でタトゥアッジョを入れている人を、時々見かける。
彼等にとって漢字というのは、デザイン意匠として、つまりビジュアル的に興味深いもの、らしい。


以前、こちらに住む日本人の友人が言っていたのだが、
「僕この前、腕にタトゥアッジョ入れてるイタリア人を見かけたんですけど・・・・『御手洗』って彫ってありました・・・」。
誰か知合いの日本人に、彫り込む前に意味を確認しなかったのだろうか。それとも、意味を知った上でなお、この「御手洗」という意匠デザインに彼は魅了されたのか。それともその人の彼女は日本人で「御手洗(みたらい)」さんという苗字の人かもしれないし・・・と、暫く気になって仕方がなかった。私が遇ったわけでもないのに余計なお世話なのだが。

また別の日、これは私が直接見たのだが、カジュアルな洋服を売っているお店のショーウインドウに、マネキンが浴衣らしきもの(しかし明らかに日本製ではない)を着て立っていた。
その浴衣には、様々な漢字がデザイン的に散りばめられているのだったが・・・・その中で、他の漢字よりも大きい字体で、しかも胸元近くの最も目立つ場所に印刷されていた一文字は・・・「尿」だった。
なぜよりにもよってこの漢字なのか・・・。
これも、印刷した人が「尿」というデザインにビビッと来たのか。それともとにかく漢字を散りばめただけで、意味の確認は全くしなかったのか(多分こっちだろう)。いずれにしても、それを気にしない人がこの服を買うのだろう(日本人は、まず買わないだろう)から、まあ問題はないのか・・・これも余計なお世話なのだが。

上の2つのエピソード(という程のものでもないが)は、漢字を見た途端にその意味を把握する日本人(というか漢字を母国語として使う人)と、いつまでもデザイン性でしか捉えていない外国人(漢字を母国語としない人)の違いが如実にそして断片的に表れていて、オモシロイ。

話は変わるが、ちなみに私もイタリア人の友人や知り合ったばかりの人に「私の名前を漢字で書いてほしい」とか、「息子と娘の名前を漢字で書いてもらえないか」、と頼まれる事がある。
これは中々辛い(オモシロイと言えばオモシロイのだが)。せっかく名前を漢字で書くのだから、あまりネガティブな意味の漢字は使いたくないし、などと日本人らしい考えが頭を擡げるけれど、当のイタリア人には全くそれは伝わらない。
先日頼まれた時は、彼の娘の名は「ジュリア」で、息子の名は「ファビオ」だった。
あまり時間の無い時だったので、急いで考えた。
「ジュリア」は「ジュ」にちょっと迷ったが、「儒利亜」。カトリックにしてはちょっと儒教っぽかったか。
「ファビオ」が難しい。「ファ」の発音の漢字ってなんだ。思わず手元の電子辞書の漢字辞典を使ったら、頼んだイタリア人に「なんで自分の母国語なのに辞書使って探しているんだ」と変な顔をされた。
それでも「ファ」が見つからなかったので、考えた結果(というほどでもないのだが)、苦し紛れに「普亜美雄」と書いた。
彼が呉々も子供達の腕にこの苦し紛れな漢字のタトゥーを入れない事を願うのみである。
私は私で、「ジュリア」の「ジュ」は「儒」でイケルけど、「アンジェラ」と頼まれたら「ジェ」はどうしよう、とか、またしても余計な事が気になっている。

また時々は、自分の腕に既に彫ってある漢字のタトゥーを見せられて、「これ、読めるか?」と訊かれることなども、ある。
相手は、私に見せたい、のである。見せて読んでほしくてたまらないのである。
これも、結構苦しい。
先日見せられたのは、「安麗散土露」だった・・・「・・・アレッサンドロ、・・・かな?」と答えてあげると、彼は「当たり!!」と満面の笑みだった。
暴走族の落書きの雰囲気を醸し出す、これらのイタリア人名の漢字表記・・・「これ、暴走族みたいでちょっとキツイよ」と言っても伝わらないだろうから、いつも言わないでいるのだが、どうしたものだろうか。

イタリアを旅行される旅行者の皆さん、道行くイタリア人のタトゥーに注目すると、なかなか面白い土産話ができるかもしれません。
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by sumiciki | 2012-03-01 23:55 | 日々の生活で

ヴェネツィア在住。雑記帳ブログ。
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