ヴェネツィア・スクラップブック

カテゴリ:イタリア(ヴェネト州以外)( 8 )




ここの「聖フランチェスコ教会」に聳えるものは・・・

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イタリアはマルケ州、アスコリ・ピチェーノという街に時々行くのだが、その街に「サン・フランチェスコ教会」という教会がある。
13世紀後半にゴシック様式の教会の建設が始まり、クーポラが完成したのが3世紀後の1549年、アブルッツォ地方の13世紀後半のスタイルをそのファサードに残しているという。

有名な聖人「アッシジの聖フランチェスコ」を祀った教会であるし、聖フランチェスコはイタリアの守護聖人でもあるから、この名前の教会はイタリア中星の数ほどあり、教会の名前自体は珍しくない。
しかし。
この街の聖フランチェスコ教会は、ある意味でスゴイ。
おそらくこういう教会は、イタリア中探してもここだけではないか。
なぜスゴイのかというと・・・・・・
教会の第二鐘楼の所に、広場に向かって(つまり市民がよく眺められるようにして)「男性のシンボル」が、ボーンと屹立しているのであった。

写真では見難くて、申し訳ない(ズームがあまり利かないカメラだったのだが、まあ逆にリアル過ぎなくてよかったか・・・)。
写真でいうと真ん中、左の緑がかったクーポラのすぐ右にある鐘楼(小さな方)の手摺り状になった部分に、「ソレ」はリアルな形で、天に向かって立っているのだが・・・目を凝らして写真を見ていただくと、見えるだろうか(嫌な方は無理に目を凝らして見ていただかなくてよいですので・・・失礼しました)。広場側から眺めると小さいが、近くに行ったら結構な大きさだろう。作り手の意気込み?がひしひしと伝わってくる作品、である。

この教会、アスコリの街の中でも市民が集まる広場がふたつあって、そのうちの一つ、「ピアッツァ・デル・ポーポロ(Piazza del Popolo)」、その名も「人民広場」に建っている。かつては「政治・宗教・商業」の3本柱であった広場だ。その「宗教」の柱が、この聖フランチェスコ教会だった。
街の人達は、この「屹立したモノ」を視界に収めながら、日々楽しくカフェやアペリティーボをしながらおしゃべりを楽しんでいるのである。

なぜまたこのようなモノが、聖なる教会に?というわけだが、
複数の地元の人の話によると、
その昔、教会の施工をした職人達に教会が施工代を支払わなかった。
それに怒った職人たちが「チクショー(←これ、仏教用語ですが、多分こんな感じ)」と、ある日この「ブツ」をおっ建ててしまったのだそうだ。
やる事がストレートというか、オチャメというか、あけっぴろげというか・・・(絶句)。

ちなみにイタリア語では(語学学校では決して習わないけれど)、よく「なんてこと言うんだ」とか、「なんてことするんだ」、という様なニュアンスを言う時に、スラングの様な感じでこの「男性のシンボル」の単語を会話に入れる。男性でも女性でも。
だから、中世の職人達も、もしかしたら「なんてことしやがるんだ」という言い回しそのままに(もし当時もその様な表現を使っていたら、ですが)、その「モノ」をそのまんまくっつけてしまったのか・・・。
もしそうだとしたら、あまりにもストレートである・・・あまりの捻りの無さが、却って気持ちいい(と思うのは私だけだろうか)。

ここで私が感心(?)するのは、
「突然建てられた男性のシンボルをそのままにしておく教会側」である。
それも何百年の間、そのままなのである。
作る方も作る方だが、そのままにしておく方もしておく方である。
なんとも大らかな・・・。
少なくとも今の時代、撤去しようと思えば壊すのは簡単なことだと思うのだが。ひょっとしてまだ施工代を払っていないのか?「確かに我々、代金払わなかったからな・・・」と教会が認めてそのまま何世紀も放置しているのか。そうだとしても、その真摯な?姿勢に感心する。
しかし撤去しなかった教会の大らかな態度の結果、昔のそのエピソードはその「記念品」と共に街の記憶として残り、今も市民の前に残っているのであった。
いずれにしても、これが突然自分達の教会に建てられたことを発見した時の教会の司祭さん達の驚きを想像すると・・・楽しい。

きっと今ではもう、教会のシンボルみたいになって街の風景に溶け込んでいるので、逆に撤去するにもできない状況なのかもしれない。
それだけ「市民広場」で市民に愛されて(?)いる、このシンボルなのであった。

ちなみにこれについて日本語のサイト等の観光情報をいくつか探してみたけれど、見つからなかった。
が、イタリア語の「アスコリ・ピチェーノ」のガイドブックを読んでみたら、ちゃんと出ていた。
しかしエピソードについての記載は無く、そこには「(男性のシンボルは)古くから力と多産(肥沃)のシンボル」とも書かれていたが・・・。たしかに、そうとも言えるか。真のエピソードはどうなのだろう。気になる。

聖人フランチェスコも、天国からぎゃははと笑ってこの景色を眺めているだろうか。
みなさんももしこの街を訪れる機会があったら、広場でカフェでもしながらこの「シンボル」をゆっくり眺めてみてはいかがでしょう。
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by sumiciki | 2012-04-14 23:45 | イタリア(ヴェネト州以外)

「肉のフィレンツェ」が好き

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フィレンツェは「ルネッサンスの街フィレンツェ」、かもしれないが、
私にとっては何と言っても「肉の街フィレンツェ」、である。
ルネッサンスより、まず肉。

日本にお住まいの方にはイマイチピンとは来ていただけないかもしれない、この肉への渇望。
その背景には(ちょっと大袈裟だが)、イタリア料理の地域性がしっかりと根付いている。

私が暮らすのはアドリア海に面するヴェネツィアだから、名物は魚介料理ということになる。
もちろん外食する場合にも肉メニューは、ある。
ミラノ風カツレツとか、タリアータ(ビフテキ)とか。
そうそう、仔牛レバーのヴェネツィア風煮込みというのはこの街の一品としてあるけれど、
なにしろ魚介料理メインの街だから、肉料理のバリエーションといっても、タカが知れている。

結果、慢性肉欠乏症に陥る。
欠乏症といっても自宅で肉は料理して食べているので、決して肉が栄養的に「欠乏」している訳ではない(むしろ私はかなり食べている)。
この場合の「欠乏」とは、「外食で美味しい肉料理をたらふく満喫することの欠乏」、なのである。
そしてこの欠乏感は、かなり辛く激しい。朝から晩まで慢性的に我が全身を蝕む(さすがにこれは大袈裟か)。

これは、裏を返せばイタリアではそれぞれの地域や街がかなり当地の料理において「肉」だったり「魚」だったりに特化していることの証であり、また物流を通じて「お取り寄せして他の地方の料理を楽しむ」気質が殆ど育まれていないことの表れでもある。

・・・思わず力が入って、なんだか大層な前置きになってしまいましたが、
そんな訳で、私は用事や仕事でフィレンツェに行く機会があると、ここぞとばかりに肉を食べる。というより、食べまくる。
例えば午前中から中央市場を訪ね、市場の中で牛肉の煮込みと牛モツのパニーノを。
一般的なイタリアの朝食はクロワッサン(イタリアでは「ブリオッシュ」と呼ばれている)とカフェだから(そして私も普段ヴェネツィアではこれが朝食スタイル)、朝から肉二品というのは、我ながらどれほど肉に飢えているかを実感して少しゾッとする。

夜も大抵は美味しいタリアータ(ビフテキ)を探すことが多い。
ヴェネツィアは「歩く」街なので、足腰は日頃から大分鍛えられているから、妥協せず、ただただ歩いてヒットしそうな店を探し続ける(ガイドブックを持っていない、ということもあるが・・・)。

先日フィレンツェを訪ねた時にも、仕事で一人だったのだが、できるだけ嗅覚を研ぎ澄ませて美味しそうなお店を見つけ、連れの人同士のおしゃべりで賑わう店内で一人、タリアータを注文、ガシガシ食べて来た。うーん、美味しかった、大満足。

メニューをチョイスする時も必死である。
次回外食で美味しい肉料理にありつけるのはいつになるか分からないので、感覚を研いで余念を払いメニューに臨む。
この日は我ながらナイスチョイスで(自画自賛だが)、タリアータ(ビフテキ)のオレンジソースがけが、付け合わせのオレンジスライスの彩りも美しく、ルッコラの緑色と色のコントラストを奏でつつ、全体がフォッカッチャの上に盛られているという、見た目にも美しい一品。ソースの浸み込んだフォッカッチャがお腹にもたまって、大食の私の胃袋も満足。
これはなかなかヴェネツィアではお目にかかれる一品ではない。
ちょうど隣りのテーブルでメニューを眺めていた地元の若い子達のグループの女の子が、私の席に運ばれて来たタリアータを見た途端に目を瞠り、すぐに同じ料理を注文した。内心やったりと喜ぶ(また自画自賛)。

こうして今回もまた、次回再び肉の街フィレンツェを訪れる機会を楽しみにしつつ、ヴェネツィアへ戻って来たのだった。
それにしても、「ルネッサンス」はどこへ・・・。またそれは次回に(あるのだろうか)。

フィレンツェの肉料理といえば、ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ(所謂Tボーンステーキ)等が有名だけれど、この街は肉料理全般が充実した街。
観光でおいでの方も、是非ご自分の嗅覚で美味しい肉料理を発見してみましょう。
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by sumiciki | 2012-04-04 00:03 | イタリア(ヴェネト州以外)

クリスマス前、ボルツァーノでの 「?}

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クリスマス前のボルツァーノ。
街を歩いていた時に、「?」と気になったモノ。

サンタさんの横に、「鬼」(?)クッキーが。
これ、なんだろう?デーモン?

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他のお店では、クッキーだけでなくキュートなデザインのチョコにも登場。

ヴェネツィアのクリスマス前のpasticceria(お菓子屋さん)では、見かけない気がするのだけど・・・。

でも、お菓子になると、なんだかカワイイ。悪いことしなさそうだ。

もし思い当たる方がいらしたら、急ぎませんのでご一報、お願いします。
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by sumiciki | 2011-12-23 07:25 | イタリア(ヴェネト州以外)

地震の守護聖人:アスコリ・ピチェーノ

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イタリアは中部のマルケ州に、アスコリ・ピチェーノ(Ascoli Piceno)という街がある。
ローマよりも古い街、とも言われる。
ローマ帝国時代には、アドリア海から塩をローマに運んだ「サラーリア街道(Via Salaria)」があり、この名は現代でも残っている。

観光的には、イタリアの中ではマイナーな州だし、マイナーな街だろう・・・と思いつつ何とはなしにネットで検索してみたら、かなりヒット。
イタリア中のピッツェリア(ピザ屋)でおつまみメニューとして親しまれているオリーヴェ・アスコラーネ(アスコリ風オリーヴ:肉詰めグリーンオリーヴのフライ)を筆頭に、知る人ぞ知る靴のブランド、「パントフォラ・ドーロ(Pantofola D’oro:黄金のスリッパの意)」はこの街発祥だし、日本でもお馴染みのファッションブランド「TOD’S」の本拠地は、アスコリ・ピチェーノ県のサンテルピーディオ・ア・マーレにある。
2005年~2006年、2006年~2007年のシーズンでは地元のサッカーチームがセリエA入りも果たしている。
そして、毎年夏に開催されるクインターナ(La Quintana:馬上槍競技)。イタリアでは知られたイベントだ。
・・・勝手な先入観を持ってはいけないな、と反省。それでもしかし、「イタリア周遊9日間!」的なツアーの中にマルケ州が組み込まれることは殆ど無いだろうから、そういう意味でマイナーと表現するのは、外れてはいないだろう。

ここの街の守護聖人はサンテミーディオ。アッリンゴ広場(Piazza Arringo)に面して建つドゥオモに祀られている。
実はこの聖人、「地震から街を守ってくれる守護聖人」なのだ。
かつてこの地方を大地震が襲った時にも(ちなみに2009年地震で大きな被害に見舞われたラクイラはここからそう遠くない)、周辺の街では建物の倒壊がひどかったのに、アスコリだけはびくともしなかったのだ、と、何人ものここの街のおじさんおばさんが言っていた。

それはすごい。そんなわけで、日本から来た家族と一緒にここを訪れた時には、ドゥオモに入ってお布施を出して、サンティーノ(Santino:小さな聖者図)をいただいてきた。
イタリア人の友人が、ドゥオモの管理人さんらしき男性に、私の家族が震災後の日本から来たこと、そして「サンティーノがあったら、少しいただけないかな」と話をしてくれたのだった。私達の人数より多めに「持ってきなさい」とくださった。

遠く日本まで、アスコリの守護聖人が守護の手をながーく伸ばして、守ってくれる事を願いつつ・・・。


ヴェネツィアからアスコリに行く場合、私は列車で「サン・ベネデット・デル・トロント」(ここは夏のアドリア海に面するビーチリゾートとして有名)という駅まで行き、そこから車を使うが、バスも出ている。ローカル・ラインの電車もある(が、アスコリ・ピチェーノの鉄道駅は旧市街から離れているため、車利用の方が便利)。

アスコリ・ピチェーノについてのインフォはこちら(イタリアマルケ州政府観光局公認オフィシャルサイト)↓
http://www.italy-marche.info/jp/omona_as/ascoli.html
(写真はイタリアマルケ州政府観光局公認オフィシャルサイトより拝借)
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by sumiciki | 2011-12-20 23:54 | イタリア(ヴェネト州以外)

「5000年前のヒト」に会いに:ボルツァーノ

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5000年前に生きた人のミイラ。
むしろ「アイスマン(Ötzi)」という名前の方が有名かもしれない。
セナレス峡谷の氷河の中から1991年に発見された彼は今、イタリアは南チロル地方の街、ボルツァーノにいるのである。

以前、ボルツァーノ出身の知り合いに、「ボルツァーノのミュージアムには5000年前の人間のミイラがあるんだよ」と聞いたのを思い出し、南チロル考古学博物館に足を運んでみた。


ちょうどアイスマンの特別展の開催中。それもあってか、思っていた以上の人の入り。課外授業らしい小中学生の団体が多いが、一般の人も結構いる。

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クラシックな建物外観からは意外な位、中の展示スペースはモダンで見易く造られている。ビデオ、マルチメディアなどを使って、前知識も無く来場した私のような来場者も、ミイラを見る前に、彼が生きていた時代や彼が氷河で眠っていた時代の歴史、そして世界各国の新聞でアイスマン発見が報じられた事を知ることができる。
発見現場の映像を見た。氷河の雪解け水の流れの中に、うつ伏せで発見されたアイスマン・・・映像を見る限りでは、まるで山岳の一遭難者のよう。それが実際は5000年前のヒトだったとは、発見者も驚いたに違いない。

肝心(?)のミイラは、小さな窓から中を覗く形になっている。
享年45(プラスマイナス5歳)、生前は身長160センチ、体重50キロと推定される彼の重さは、今は15キロなのだそうだ。左腕が奇妙に右肩の方に曲がっていて、まるでストレッチしているみたいだ。
・・・・・・大きな鰹節、みたいであった。
しかし考えてみると魚もヒトも、乾いたら同じように鰹節みたいになる(?)のだから、この感想も当然といえば当然かも、と我ながら貧困な想像力に言い訳(笑)。
私ももしどこかで行き倒れて5000年後にミイラで発見されたら、きっとこんなんなってるんだろうな、と思いながらアイスマンと対面。

彼の身体にはブルー・ブラック・ラインのタトゥーが見られ、
彼の左肩からは矢の先端が見つかり、傷を負っていたことが研究で分かったのだそう。

他にも、一緒に見つかった彼の身に着けていた衣類や帽子・靴等の装具や、生前のアイスマンの復元模型、なども展示されている。

ミュージアムの特別展内各所には、なかなかユニークなアイディアが散りばめられている。
座布団風のクッションが所々に重ねて置いてあったり(好きな所でゆっくり座って見て、ということ?)、
顕微鏡でアイスマンの大腿骨を見る事ができるコーナーがあったり。

ミイラ展示階の上階もなかなかユニークで楽しんだ。
アイスマンに関する諸々、が展示されているのだが、これが本当に「諸々」で、
アイスマンを使った風刺イラストとか、「POPスターのアイスマン」というタイトルで、POPソングに歌われたのをヘッドフォンで聴けるようになっていたり、アイスマンが特集された各国の「ナショナル・ジオグラフィック」誌(2007年7月号)を展示していたり(もちろん日本版もあった)。
エコロジストのブラッドピットが2007年に左腕にアイスマンのタトゥーをしていた、なんていうのも、写真入りで展示していた。

(2枚目以降の写真は南チロル考古学博物館サイトより拝借)

南チロル考古学博物館のサイトはこちら↓
http://www.iceman.it/it/info-museo
Museo Archeologico dell'Alto Adige
Via Museo 43, 39100 BOLZANO
Tel: +39 0471-320100 Fax: +39 0471-320122
開館時間:火曜-日曜 10時~18時(入場17時30分まで) (木曜は19時まで)
休館:月曜(祝日の場合は開館。7・8・12月は月曜日も開館)、1月1日、5月1日、12月25日は休み。12月24・31日は15時閉館(入場14時30分まで)

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by sumiciki | 2011-12-14 03:37 | イタリア(ヴェネト州以外)

ボルツァーノを歩きながら

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南チロル、トレンティーノ・アルト・アディジェ州の街ボルツァーノの街を歩く。

街を歩きながら感じたこと。
「ここは・・・イタリアのドイツ語圏、ではなくて、まるでオーストリアの中のイタリア語圏みたいだ」。

街の標識はイタリア語とドイツ語併記、本屋に入ればドイツ語の本が店頭にずらっと並び、パン屋を覗けば私の住むヴェネツィアとは全然違うパン(そしてそれがまた美味しそうなのだが)、プレッツェルや黒パンが並ぶ。
耳に入ってくる地元の人のおしゃべりは、ドイツ語の方が断然多かった。

それに、お店でも、屋台でも、ホテルでも、イタリア語よりも英語でコミュニケーションを取ることの方が多かった。
ヴェネツィアを含め、ここの州以外のイタリアの街では、例えば私が少しでもイタリア語を話せば大抵は英語を話していてもイタリア語に切り替える。
逆に言えば、ここボルツァーノの「イタリア人」にとっては、私とイタリア語でコミュニケートするよりも英語の方が手っ取り早かったのだ。

日本から直接この街に観光で入った人にはそれほど異質に感じられないかもしれないが、イタリアに住んでいる私にとっては、なんだか外国(つまりイタリアではない国)を旅行しているみたいな印象だった。
それで、冒頭に書いたような感想、があったのだった。

そして、これこそがまさに、現在のボルツァーノ、そしてトレンティーノ・アルト・アディジェ州の特殊性といえるのだと思う。

今年はイタリア統一150周年にあたり(といいつつ、今年もあと1カ月もないけれど・・・)、日本でも記念イベントが色々と開催されていると聞くが、1861年にイタリア王国が成立した時にはまだこの地方はイタリアではなかったのだ。
ちなみに私の暮らすヴェネツィアがイタリアに組み込まれたのは1866年、ローマは1870年で、そしてこの地方がイタリアとなったのは、1919年、第一次世界大戦後である(その前はオーストリア領だった)。

ファシズム期には強制的なイタリア同化政策が行われたという。ドイツ語使用の禁止、イタリア語での教育、イタリアからの移住の推奨によるイタリア人比率の増加・・・。それらは彼等の反感を高めた。
第二次世界大戦中の大ドイツ帝国やオーストラリアの領地争いの混乱を経験後、大戦後には自治を認められたものの、その後も完全自治、あるいはオーストリア帰属を求める運動がテロをも伴って行われたのだそうだ(1950年代、60年代には激化)。今、この穏やかに見える山間の静かな街からは、少なくとも通りすがりの私の眼には、そのような物騒な歴史は想像できないけれど。
それから、自治権は拡大され、ドイツ語も公用語として認可されたのだそうだけれど、現在でもイタリアの中の自治州という位置付けに対し、色々な動きは(かつてのようにテロという形は取らなくとも)あるのだと思う。

ふと思い出したのは、今年の春、イタリア統一150周年の記念式典を前に、その出席の是非について色々論議があったというニュースを思い出した。
この地方にしてみれば、「イタリア150周年といっても、そこには我々は含まれていないじゃないか」という理にもなるわけで、「イタリア統一」の歴史の複雑さを感じずにはいられない。そしてそれぞれの地方が国家であった長い歴史の後の、「イタリア」の短さも。

若いボルツァーノっ子達には戦争やテロの記憶はもちろん無い訳だけれど、
彼等がイタリア国内を旅行した時には、例えば電車で数時間行くだけの、同じ北イタリアのミラノやヴェネツィアの街を訪れた時に、自分達の暮らす街とは全く別のイタリアの街を見る訳で、そしてそれが彼等には当然のこととなっている筈だ。
そして日常生活の中ではドイツ語とイタリア語、2つの言語が当然のように使われている環境。
歴史の名残はこのように、ここの空気の中にしっかりと残っている。

そんなことを考えながら、そして時々おいしいウインナーとパンを頬張りながら、街をぶらぶら歩いた。

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by sumiciki | 2011-12-11 19:46 | イタリア(ヴェネト州以外)

ぶらりクリスマス・マーケット:ボルツァーノ

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ボルツァーノでクリスマス前(12月23日)まで開かれている、クリスマスマーケット(mercatino di natale)。
イタリアではテレビのニュースで毎年決まって映像が流れる、有名なマーケットのひとつだ。
今年で21回目、らしい。

Piazza Waltherという広場がメイン会場。その脇にあるやや小振りな広場にもツリーとお店が並ぶ。
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ガラスや木製・陶製のツリー飾り。サンタさんやエンジェル、聖母マリアとイエスの置物や動物のぬいぐるみ。
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可愛い形のビスケットなどのお菓子。
クリスマス柄のテーブルセンターやクロスを売るレースの店。
サラミや生ハム。
あったかルームシューズや帽子。
ホット赤ワインを飲んだりソーセージをつまめるカウンター。
押し花の額や栞を売っているお店では、エーデルワイスの押し花の額が売っているのが、なんとも南チロルのメルカートらしい。

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寒い所でリンゴが美味しいのは、日本もイタリアも同じ。
注文してから揚げてくれる、リンゴのフリッテッレが、うーん、美味しい。
他にも「あったかリンゴジュース」などもあったが、私はお馴染み「ヴィン・ブリュレ(スパイスの効いたホット赤ワイン)と一緒に。
ここでは、本当に「ネコもシャクシも」ヴィン・ブリュレ、だった。ヴェネツィアでは所々でしか見ないのだけれど。
確かに、寒い所では温かいアルコールが美味しい。日本でも寒い時に飲む日本酒の熱燗はたまらなく美味しいのと同じか。

周りで飲み食べしながらおしゃべりしている地元の人らしき人達、ここでも耳に入ってくるのは、まずはドイツ語、そして時々イタリア語。

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脇の小広場には、とにかくたくさんのツリーが。ツリーに埋もれるようにして、アペリティーボしている人達。
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あるお店の脇には、「突然出てくるサンタクロースのノームに注意」の看板あり。

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シスターに引率された子供達、マーケットの中に、くじ引きをやっているお店を見つけ、みんなで押し寄せて来た。

日も暮れて暗くなってくると、ツリーの灯りとお店の灯りが、美しく浮かび上がってきた。
ちょっとだけ覗くつもりが、ワインを飲んでいい気分になって、気がついたら2時間半も経っていた・・・。
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ボルツァーノのクリスマス・マーケットのサイトはこちら↓:
http://www.bolzano-bozen.it/mercatino/

12月23日まで
月~金: 10:00–19:00
土: 9:00–20:00
日: 9:00–19:00
12月8日–11 日: 9:00–20:00.
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by sumiciki | 2011-12-07 12:03 | イタリア(ヴェネト州以外)

ローカル線でヴェネツィアからボルツァーノへ

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ボルツァーノ・スクラップ

丸々二日間仕事がなかったので、ふと思い立ってヴェネツィアからボルツァーノへ出掛けてみることにした。

往路復路共に急ぐ必要はないし、車窓から景色を眺めるのも楽しいし、なにしろイタリア(Trenitalia)のローカル線料金は安い。そういう訳で今回もローカル線を利用。

ヴェネツィアから西へ、パドヴァ~ヴィチェンツァを通り、ヴェローナで乗り換え、そこから北へ上がり、ボルツァーノへ向かう。所要(待ち時間含む)約4時間20分で、15.7ユーロ(2011年12月現在)。

ヴェネツィアからヴェローナまでは、まあ普段使っている、イタリアの列車。所要約1時間40分(実際はもっと遅れ、乗り換えに間に合うかひやっとしたが)。
それがヴェローナで乗り換えたら、列車の車体は大して変わらないのだが、車内の注意書き等が既にドイツ語併記になっている。これからドイツ語圏に向かうのだという気持ちの用意(?)ができる。ここから北へぐんぐん上がって行く。

列車がヴェローナを出発すると間もなく、岩山が迫ってくる。緑色の低木は茂るが、その下からは岩が剥き出している。線路の近くには、切り出された石や木材の置場が何ヵ所か見られる。

線路のすぐ脇の平地から山裾までずうっと広がって見える、添え木に支えられた低木の連なり。
手元の地図を見ると、「Valpolicella」とある。ヴェネト州の名物ワインのひとつ、ヴァルポリチェッラは、ここで生まれているのだ。

線路左手の河はアディジェ河。これから向かう地方、「アルト・アディジェ」地方とは、「高い(=上方の)アディジェ」という意味だから、アディジェ河に沿ってその上流へと向かっていくというわけだ。

ローカル線だから、途中小さな駅(ホームには駅員も見えないし、それらしい駅舎も見えず。無人駅?)を通っていく。ヴェローナを出発してからわずか30分ちょっとで既にこのような景観に入っている。

駅名を全て控えているわけではないが、Avio~Ala~Moriと来て、やや大きな駅に。Rovereto駅だった。その後、列車右手前方の山間の高台に、石造りの城が聳え、眼下に街を見下ろしているのを車窓から眺める。
手元のイタリア語のガイドブックを読むと、ロヴェレートの街は1416年から1509年までヴェネツィアの支配下にあったとある。養蚕と紡績が盛んだったこの地は、当時セレニッシマと呼ばれ海洋国家として力を持っていたヴェネツィアの、ヨーロッパに向けての門とも呼べる位置付けだったらしい。

途中駅で最大の駅、Torento駅を通る。トレンティーノ・アルト・アディジェ州の州都。
ここを過ぎても、まだ葡萄の木が続く。インダストリアル・ゾーンに混ざっても、まだ続いている。

Lavis、Mezzocorona駅を通り、その後のSalornoという駅からは、プラットホームにある駅名がイタリア語とドイツ語併記が始まる。Salorno(Salurn)~Ora(Auer)~Bronzolo(Branzoll)~Laives(Leifers)と、似ている様でちょっと違う、ドイツ語表記。

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そして終点、ボルツァーノ(Bolzano/Bozen)駅に到着。ヴェローナからは2時間15分ほど。
駅の近くを河幅広くアディジェ河が流れ、車窓から見える山の斜面、日が当らない部分に根雪が残る。

駅構内のアナウンスは、始めにイタリア語、続いてドイツ語で。構内のトイレ個室には温水暖房が備付けてあって既に温かくなっていた、寒い地方に来たのだと感じる。

イタリアの中の、ドイツ語が日常使われている街。方言とは違うのだ、外国語なのだ。

今日ではイタリアなのに、その国とは違う言語が日常的に使われている街(もちろんイタリア語も使われているのだけれど)、つまり少し前まではイタリアではなかった街に、入った。

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by sumiciki | 2011-12-05 08:36 | イタリア(ヴェネト州以外)

ヴェネツィア在住。雑記帳ブログ。
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