ヴェネツィア・スクラップブック

カテゴリ:映画・舞台など( 10 )




フェニーチェ歌劇場 オーケストラのコンチェルト②

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前回の続きです)
今回のコンチェルトのチケットは、劇場窓口で相談しながら「指揮者の振る手が前方からよく見える席」を購入。
窓口のシニョーラが、「ここならバッチリ見えるわよ」と太鼓判を押してくれていた席は・・・

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パルコ・シェニコ(舞台)のすぐ上手脇、
そしてなんとコントラ・バス奏者の正にすぐ後ろ・・・!!
しかも2人の奏者が譜面台を真中に置いて座っていたのだが、私の席は二人の間のすぐ後ろだったから、まるで私も含めて3人並んで楽譜に向かっている状態。
実際に手を伸ばせば、バス奏者の頭も撫でる事が出来るしコントラバスにも触れられる位の近さ(勿論手は出しませんでしたが)。

ちょうど同じボックス席の後列に座っていた男性がコントラバス奏者の一人の友人だったようで、休憩時間中には、目の前の舞台の上から奏者が顔を出して来て私のすぐ脇で、彼等2人が「チャオ」「おっ、お前、ここで何やってんの?」と握手しながら立ち話までしている。それ程舞台に近いボックス席、それにしてもなんとも気さくなフェニーチェ歌劇場・・・。

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演奏が始まると、当初はディエゴ・マティウスの指揮を眺めながらチャイコフスキーの交響曲を楽しみたい、と思っていたのだが、なにせ自分の目の前にあるコントラバスの楽譜のオタマジャクシ(それ程近かった)が視界に飛び込んで仕方がない。
しかもそれに合わせてすぐ目の前(というか両脇と言ってもいい)にいる2人の奏者が演奏するものだから(当たり前だが)、思わず私も楽譜のオタマジャクシを追っているうち(門外漢でもどの部分を弾いているか程度は分かる)、なんだかコントラバス奏者の一人の様な気分になってしまった(我ながら単純)・・・。

そしてまた、そのつもり(あっという間にそのつもりになってしまう性格の私)になって楽譜を追っていると、一観客でしかない、そして音楽には門外漢の私にまでオーケストラで演奏する事の面白さがビリビリと伝わって来るのだった。
ここの全体の音の中で、バスにはこの音を配するのか。
バスが休みに入った途端、今度は管楽器が流れを引き継ぐんだ。
ここの数小節のオタマジャクシ、実際には他の楽器が止まって、バスの音がとても目立つ部分だったんだ。
楽譜上ではコントラバスが同じテンポで音を繰り返しているけれど、実際の音楽ではこんなにドラマティックな展開になるのか。乗ってきた乗ってきた、すごいな、20代後半~30代前半のチャイコフスキー。

目の前の本(譜面)がそれもまた眼前の舞台の上で表現され別のものになっていく面白さ、それはなんだか、戯曲を読んでから実際のお芝居を観る時の面白さにも似ている。

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それにしても、あまりに舞台に近い席だったことで、心理的には「フェニーチェの観客」というよりはまるで「どこかの学校の管弦楽部の新入部員」みたいなことになっていた・・・。

ちなみに、指揮者ディエゴ・マテウスが時々コントラバスの方に向かって合図する時などは、「うわっ、私を見てる!」(見ているわけがない)
・・・・・・感情移入し過ぎて自意識過剰状態。
それにしても、これだけの別々の楽譜と楽器をひとつのものにしていく指揮者というのは・・・同じ人間とは思えない・・・。


音楽に関しては全く門外漢な私が、まるでフェニーチェ管弦楽団の奏者の一人として舞台上で指揮者に向かっている様な臨場感。これは・・・スゴイ(というかむしろ私が単純なだけなんだが)。こんな楽しみ方があったのか、恐るべし、そして奥深きフェニーチェ(ちょっと大袈裟か)。
あ~、楽しかった・・・。

本当はフェニーチェ歌劇場の若き常任指揮者、ディエゴ・マテウスについてご紹介するつもりだったのだが・・・・・・またそれは別の機会に。

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プログラム:
ピョートル・チャイコフスキー
交響曲第2番ハ短調 作品17「小ロシア」
交響曲第1番ト短調 作品13「冬の日の幻想」

指揮:ディエゴ・マテウス
演奏:フェニーチェ歌劇場管弦楽団


Direttore:Diego Matheuz
Tipologia:STAGIONE SINFONICA 2012-2013

programma
Piotr Ilic Cikowsk
Sinfonia n. 1 in sol minore op. 13 Sogni d inverno
Sinfonia n. 2 in do minore op. 17 Piccola Russia

Orchestra del Teatro La Fenice
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by sumiciki | 2012-12-10 10:04 | 映画・舞台など

フェニーチェ歌劇場 オーケストラのコンチェルト① フェニーチェのチケット購入は・・・

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「オテッロ」と「トリスタンとイゾルデ」で華やかにオペラシーズンが開幕したここヴェネツィアのフェニーチェ歌劇場だが、この2公演も終わり、オーケストラのコンチェルト公演が行われている。

余談だけれど、このフェニーチェ歌劇場のチケットを買う時、私はいつも劇場窓口で買うようにしている。

何故かというと、まず第一に、フェニーチェ歌劇場の座席はバリエーション豊かだから。
というのも、例えばインターネットでオペラ公演のチケット等買うことも勿論できるのだけれど、窓口に直接行って買うと、ネットでは販売していない値段の安い席のチケットが買える。
座席の種類も「(舞台が)全ては見えない席」とか「(舞台は見えず)聴くだけの席」といった名前がついていて、チケットの値段も公演によって違うが、10~20ユーロ程度から買える事が多い。
日本でいうと歌舞伎座の幕見席みたいな手軽さだけれど、勿論一幕だけではなくて全部観られる。そしてこれらのチケットは当日だけではなくて前売りでも買う事が出来る。

海外からヴェネツィアを訪ねてフェニーチェで観劇というような貴重な機会なら、良い席で観劇するに越した事はないけれど、例えば音楽を勉強している学生さんや、何度か通って聴きたいという人にとって、これらの席はありがたい。
歌を学ぶ学生にとっては、舞台は直接見えなくても声だけ聴ければまずは良いだろうし、実際には入場してから舞台が見える場所に移動して、立ち見で観ている人も結構いたりする。

手頃な値段で何度も聴く事ができれば、それだけ勉強にもなるし、そうやって音楽に親しむ人間が育って行く事で、長い目で見ると音楽の土壌は培われ豊かになっていく。
高い値段のチケットで1回だけ押し頂く様にオペラを聴いても、それではいつまでも他所様のもの、となりがちだろう。

そして第二の理由は、窓口の係の人に具体的な希望を伝えて、相談しながら買えるから。
比較的空いている時に行くようにはするが、いつも「○○席を○枚」、とすぐには言わない。

希望の値段上限と、例えば「舞台は見えなくていいけれど、オーケストラ、特に指揮者がよく見える席はどこかな」とか、「指揮者を後方から、ではなくて、前の方から、振る手は見えるかな」、とか、「この値段のチケットだったら、やっぱりセンター近くの方が全体の音を聴くにはいいのかな」、とか。

簡単に言ってしまえば、安い席のチケットしか買えないビンボー人のあがきなのだけれど、これが結構、窓口の人は親切に相談に乗ってくれるのだ。イタリア人はこういった個人的な相談に、窓口などでも結構親身にしてくれる事が多いのだけれど、ここでもそんな感じだ。

英語でもイケル筈なのでイタリア語は無理という方でも、こうやって買うといいかもしれない。
ただし、窓口が空いていて時間をかけても大丈夫な時を狙う事と、「私はせっかくの公演を楽しみたいのよ」という気持ちを滲ませることと、希望を具体的に伝えることがポイント(ちょっと大袈裟だが)。

近代的な劇場と違って、フェニーチェのような昔ながらの劇場(1996年に火事で全焼したが、従前の姿で再建された)だと、席によっては(同じボックス席でも)前列後列で全然見え方が違ったり(値段も勿論違うが)、柱や手摺りや照明が視界の一部を遮っていたりするし、平面プラン上観客席全体のカーブが結構きつい上フロア階数も色々だから、同じ位の値段の座席でも場所によって大分見方・聴こえ方が異なる。
プラテア席以外だと、どこかしら見難い席の方が多い、と言ってもいい位。

だからチケット購入前に窓口で直接相談あるいは確認というのは、なかなか良い方法では、と思っている。

シンフォニーのコンチェルトの事を書こうと思いながら、チケットの話だけになってしまった・・・。
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by sumiciki | 2012-12-09 09:32 | 映画・舞台など

フェニーチェ歌劇場  「トリスタンとイゾルデ」

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ヴェネツィアのフェニーチェ劇場にて、今年もオペラのシーズンが幕を開けた。

幕開け公演はヴェルディの「オテッロ」と、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」。
この19世紀を代表する二巨匠、ヴェルディもワーグナーは共に1813年生まれ、来年2013年は二人の生誕200年にあたる。アルプスの北と南で同時代に活躍した二人(しかしワーグナーはヴェネツィアにも滞在していて、「トリスタン~」の第2幕をヴェネツィアで完成させている)の巨匠の代表作を、ほぼ日替わり公演の様に聴く事が出来る、そして指揮は二公演ともチョン・ミョン・フン(Myung-Whun Chung)という華やかな企画。
北方の神話や伝説の世界を題材にし、シンフォニックな音楽の響きの上にオペラが乗って行くようなワーグナーの世界と、人間の愛が陰謀や運命にさいなまれていくドラマを、歌い手とその声に乗せて展開させるヴェルディの世界。前者はドイツ語、後者はイタリア語。この両公演を、間に一日入れて連続で聴けたのはなんとも嬉しいこと。

「オテッロ」公演は来年4月に日本(大阪・名古屋・東京)公演が予定されているそうだが、この「トリスタン・とイゾルデ」は行かないのが個人的には残念。
まあ、フェニーチェ歌劇場の来日公演として、生誕200年であるイタリア人のヴェルディの代表作、しかもヴェネツィアの香りを含んだ「オテッロ」を選ぶのは、ご尤も、なのだけれど。

アイルランドの王女イゾルデは、イングランドのコーンウォールを治めるマルケ王に嫁ぐため、王の甥であり忠臣であるトリスタンが護衛する船でイングランドに向かうが、その船上で彼に飲ませまた自分も飲んだ毒薬は、侍女ブランゲーネが咄嗟に用意した愛の薬だった事から、愛と悲劇が展開していく・・・。

音楽と歌い手は勿論だが、舞台装置と照明が印象的。
シンプルなセットの開口部から舞台の床面や壁面に落ちる光が、登場人物の影を大きく映し出し、それが人物の中にある悲しみや悩みを象徴的に表しているかの様な影となり、密会の場で二人が愛を語る場面でも、愛する者にやっと会えた喜びにもそこには悲劇が寄り添っている事を、その無言の陰影が伝える。

全3幕で約5時間(休憩2回含む)、しかしあっという間だった、というのは極端かもしれないが、ぐいぐいと音楽と歌と話の展開に惹き付けられて一気に5時間経ってしまった、という感じ。逆に言えば、その間観客を舞台から離さない音楽と歌い手に拍手。

(写真はフェニーチェ歌劇場公式サイトより)


トリスタンとイゾルデ (Tristano e Isotta)
azione in tre atti
libretto e musica di Richard Wagner
dal romanzo in versi Tristan di Gottfried von Strassburg
prima rappresentazione assoluta: Monaco di Baviera, Koenigliches Hof-
und Nationaltheater, 10 giugno 1865

Tristan - Ian Storey
Koenig Marke - Attila Jun
Isolde - Brigitte Pinter
Kurwenal - Richard Paul Fink
Melot - Marcello Nardis
Brangaene - Tuija Knihtila

maestro concertatore e direttore:Myung-Whun Chung

regia:Paul Curran

scene e costumi:Robert Innes Hopkins

light designer:David Jacques

Orchestra e Coro del Teatro La Fenice
maestro del Coro Claudio Marino Moretti
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by sumiciki | 2012-12-02 21:05 | 映画・舞台など

ヴェネツィアで観る 「天空の城ラピュタ」

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日本で昔に観た思い出の映画を、異国にて他の言語の吹き替えで観る、というのは、いつもなんだか不思議な感じだ。

今年の4月からイタリア各地で上映していた「天空の城ラピュタ」が、やっとヴェネツィアの映画館にもお目見えした。

イタリア語のタイトルは「IL CASTELLO NEL CIELO」、つまりオリジナルのタイトルそのまま「天空の城」、でも「ラピュタ」が取れている。

それにしても、ヴェネツィア映画祭で受賞歴もあり人気も高い宮崎駿さんの代表作のひとつであるこの作品が今まで上映されていなかったのは、なんでだろう?
しかもヴェネツィアの映画館では、週末の2日間だけの上映だった。

もっと上映期間が長ければ(といってもヴェネツィアの映画館でのロードショー上映期間は、普通でも驚くほど短い。一週間~上映会場を移してもせいぜい二週間程度)、より多くの人に観てもらえるのだけれどなあ、と思いながらも懐かしさと共にいそいそと出掛けて観て来た。

こちらの映画は殆どが吹き替えである。だから今回も字幕ではなくイタリア語の吹き替えだったのだけれど、違和感無くストーリーに入れたのは、吹き替えも声優さんも良かったからかもしれない。

初めてこの映画を日本で観た時には、将来自分がヴェネツィアの小さな映画館で、イタリア語で同じ映画を観ることになるとは予想だにしなかったよなあ、と当時を懐かしく思い出した。

映画の中に散らばる、あ、こんな絵があったっけ、という、美しいシーンの数々。空から主人公が見下ろす、自分の暮らす山あいの家。朝、山に向けて吹くトランペットと山を飛ぶ鳩の群れ。パンと目玉焼きのなんとも美味しそうな朝食。力いっぱい走る人の動き。突風の中で主人公を導く亡き父親の幻像。金で買収され引き返す主人公の、台詞もなく歩き走るだけの姿から滲み出る悔しさと無力感・・・・・・。

宮崎さんが書くシーンの美しさは、そこに、孤独も悲しみも冒険も、色々入っている美しさなんだろうなあ、と思う。それが、映画全体をただの冒険譚で終わらせない、なんだか美しく切ないものに仕上げている。

余談になるけれど、私の少し前の席に、3歳位の男の子(チリチリパーマの髪がなんとも可愛かった)を連れた3人家族(パパとママ)が観に来ていたのだけれど、この小さな男の子が、映画のストーリーが進むにつれてどんどん身を乗り出して、後半では前の座席の上に体をかぶせる様にしてかぶりついて観入っていた。ただ楽しいだけの、キャラクター映画だったら、この子はこんな風には観ていないだろう。この映画が、この小さな男の子の内でどのように育まれていくんだろうか、そんな事を思いながら観ていたのでした。

これも余談ですが、エンディングの「君を乗せて」(宮崎駿さん作詞・久石譲さん作曲)はオリジナルの日本語だった。この大好きな歌を懐かしく嬉しく聴いて、久々に口ずさみながら帰途についたのでした。
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by sumiciki | 2012-08-03 08:57 | 映画・舞台など

映画「テルマエ・ロマエ」を日本で

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先日のブログで、映画「テルマエ・ロマエ」(2012年4月28日ロードショー)の公開前に、「日本にお住まいの方が羨ましい・・・」と書きましたが、
実は、ドラえもんに「どこでもドア」を出してもらって、
・・・というのはウソで(当たり前か)、
僅か三日間の日本滞在期間の間に、執念で観て来たのでした。

公開直後ということもあってか、会場は大盛況。

なんといっても、想像以上に、主役(古代ローマ帝国のテルマエ:公衆浴場技師ルシウス役)の阿部寛さんが適役。拍手!
古代ローマの街をイタリア人エキストラと一緒に歩いていても、ローマ人に見えてしまうあの顔の濃さ。だけではなくその熱演ぶり。
逆に、日本人と一緒に銭湯や浴室にいても、彼は本来日本人の筈なのに、「古代ローマ人とその他の日本人」にしか見えないところがスゴイ。
そしてあの美しいヌード(古代ローマ人ですから)。その日本人離れした美しい身体を堂々と、あけっぴろげなまでに。映画の画面に向かって「阿部さん、ありがとう」とお礼を言いたくなったのは、私だけではないだろう。

特に笑えるのは、前半部分。
オリジナルの漫画にあるエピソードが次々と、映画という実写になっても漫画的な感じそのままに展開。客席からは笑いが絶えない。漫画で笑った箇所で、ストーリーを知ってはいても、映画でまた笑ってしまう、そんな感じだ。
阿部さんはまさにルシウスなのだけれど、浴場にいる日本人役者さん達があまりにも「平たい」感じで、そのギャップが見事。

脇を支える市村正親さんなどはもう、日本人ではなかった・・・古代ローマの皇帝役が、日本人キャストとしてこんなに適役の人はなかなかいないだろう。日本人が、ローマ皇帝を、そのまま日本語で演じてしまう、この面白さ。

あくまでも個人的な感想としては、前半部分の「オリジナルの漫画に忠実なエピソード」で、もっと笑っていたかった~、というところ。
後半は映画オリジナルのストーリー展開となり、「現代日本と古代ローマを往き来するルシウス」という展開でなくなっていく(ネタバレになるのでストーリーは書きませんが)。数話完結型の漫画を映画に仕立て直すには、ストーリー展開が必要、ということかなあ、と思いながら観ていた。

いずれにしても、阿部さんルシウスここにあり、という入浴スペクタクル。
特に前半、笑えます。

劇場入口で、「特別編」もらえました。
ヤマザキマリの映画用特別編も、載ってます。

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by sumiciki | 2012-05-03 23:31 | 映画・舞台など

テルマエいよいよ

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そういえば、そろそろあの「テルマエ・ロマエ」映画公開では・・・・・・
と思ってサイトを覗いてみたら、近く28日ロードショー。

サイトにいくつか予告編があり、短いながらもかなりオモロイ(↓コチラ)。
http://thermae-romae.jp/index.html

日本在住の方々は、私がサイトの紹介をするまでもなく日々テレビ等で予告をご覧になっているだろうから何を今更、と思われるかもしれないが、
もしイタリア等日本以外に在住の方、ご興味あればどうぞ。笑えます。

キャストを見てみると、日本人俳優陣が見事にその顔の濃さ薄さで「ローマ組」「日本組」と分かれている。
主演の阿部チャン、特に市村正親さんなどもう、日本人に見えない(笑)。
この、敢えてイタリア人キャストを使わず、「極力濃い顔の日本人をしてローマ人役をさせてしまう」オモシロさ。ここに映画だからこそ、のツボがある。

日本にお住まいで観に行かれる方、是非楽しんでいらしてください。羨ましい・・・。
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by sumiciki | 2012-04-25 22:14 | 映画・舞台など

植草甚一Works6 「イタリア映画の新しさを伝えたい」

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植草甚一さん、という人がいた。「J・J氏」という愛称で知られた、欧米文学やジャズや映画の評論家。

学生の頃読んだ彼の評論やコラムから、様々な作家や映画やジャズを教えてもらった。
私の大好きなイタリア人作家イタロ・カルヴィーノの名も作品も、植草さんの本を読んで知った。その時からいつかはカルヴィーノの著作を原文で読みたい、と思っていたから、今私がイタリアに住むきっかけのひとつは、植草さんによって種を蒔かれた、とも言えるかもしれない。

この植草さんという人、いわゆる中年の頃の植草さんの写真はちょっと太めの「どこにでもいそうな」おじさんなのに、歳を取ってから(胃の手術後に大分痩せられた)の写真を見ると、およそ「どこにもいない」おじいちゃんに変貌を遂げる。
その写真がとにかく素敵なのである。
イケテる(←彼が着ると)Tシャツに帽子にジーンズ、そして何よりも目が、この人はおじいちゃんになればなるほど、キラキラピカピカしてくるのである。
スゴイじーさんがいたものだと当時学生だった私は写真を見てうーんと唸ったものだった。

私が評論やコラムを読んでいた頃は既に故人となられていたので、リアルタイムで読んでいたのではない。
晶文社からかつて発刊された「植草甚一スクラップブック」シリーズは新書を扱う本屋では既に絶版で、計らずも植草さんが好きだった古本屋に私も足を運ぶようになったのだった。
新刊本とはまた別の世界が、それは値付けという評価も含めて、古本屋にはあるのだとその時に知った。
古本の植草さんのシリーズは、当時学生だった私にはなかなかの値段だったので、少しずつ、社会人になってからもボチボチと、古本屋で見つけると買い集めて読んで来た。
それらのシリーズも、復刻版のリクエストが多かったのだろうか、既に大分前からお求めやすい値段で新書店に並んでいる。

その植草さんの映画評、中でもイタリア映画だけを集めたものが、近代映画社から「植草甚一Works6 イタリア映画の新しさを伝えたい」として刊行されている。映画雑誌「スクリーン」に掲載された文章を書籍化したもの。

イタリア映画の「新しさ」といっても、それは執筆年代の(なんと)1940年代後半から1960年代のこと。
植草さんは終戦後まだ年も経ない時期からイタリア映画の傑作を次々に紹介しているのだ。
彼のワクワクするような文章を通じて、当時の黄金期イタリア映画の新しさというものが、まるで自分もリアルタイムにそこにいるかのように、実感として迫ってくる。この感覚はなんとも楽しい。

作品としてロベルト・ロッセリーニ、ヴィットリオ・デ・シーカ、ピエトロ・ジェルミ、ルイジ・ザンパ、ジュゼッペ・デ・サンティス、アレッサンドロ・ブラゼッティ、ルキノ・ヴィスコンティ、マウロ・ボロニーニ、フェデリコ・フェリーニ、脚本家としてのパゾリーニ。俳優陣に、ヴィットリオ・デ・シーカ、アリダ・ヴァリ・・・。
今では「大巨匠」という大前提で語られる監督や俳優陣が、ここでは「こんなスゴイ人が出てきているよ」というリアルタイムの言葉で語られている。

植草さんの文章を読んだことがある方はご存知かと思うけれど、植草さんの文体には独特のスタイルがあって、それがきっと当時の若者の間の人気に火を点けたのだと思うけれど、しかしその文体も、最初からそうだったわけではない。それがこの本に(章毎に)時系列に並んだ文章を読んでいって改めて分かる。
後半の方になって、「あ、きっとこの頃からあの写真のようなキラキラしたじーさまになって来ているのでは」とこちらも想像しながら読んでいった。

年が経ち、私がイタリアに暫く住んでもなお、今は亡き植草さんは私に色々なものを伝えてくれる人なのだった。


「植草甚一Works 6 イタリア映画の新しさを伝えたい」 (Screen Library 006)
著者:植草甚一
発行:(株)近代映画社
価格:1800円+税

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by sumiciki | 2012-03-21 21:44 | 映画・舞台など

「悪人」

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日本にいる間だからこそできること。
ということで、今回の日本滞在中、時間がある時にはできるだけDVDで邦画を観ていた。
観たい映画は沢山あって、結局、全然日にちは足りなかった(他にも遊び過ぎたということもあるのだが・・・)。

その中で出会った映画のひとつ、「悪人」は、私にとって大切な映画のひとつになった。
日本を出発する前に、もう一度観た。またしても良かったので、原作も読んだ。
いい映画、というよりも、自分にとって大切な映画というのは何だろうと改めて考えてみると、きっとそれは、映画を観終わって、月日が経って、映画の全シーンや細部までは思い出せなくなっても、その時にその映画を観て自分なりに考えたことがその後の自分の人生の別の局面で、自分の中の何処かにしっかりと根付いているだろう、という予感のする映画、ではないかと思う。

どういう人が「悪人」か。人を殺した人は「悪人」か。殺していなければ「悪人」ではないのか。殺された人には「悪人」の部分はないのか。自分は「悪人」ではないと言えるのか。「悪人」の家族に罪はあるか。それ以外の人はその人達を非難できるのか。「悪人」となるしかない悲しいまでの優しさは存在するのか・・・。
哀しい映画ではあるのだが、小説が映像となることで、また別の方法で、小説の世界を観る人の心に広げたような作品だった。

私は前宣伝も前評判も何も知らずにこの映画を観たのだが、作品の終わりのテロップを眺めていたら、原作者の吉田修一さんが、共同脚本として参加していた。脚本にまで参加する原作者も珍しいだろう。
文で全てを表現する小説と映像で伝える映画はそもそも媒体として違う訳だから、本の世界を観る人に映像で伝えるためには原作と全く同じシーンとセリフではうまくいかないわけで、そこの部分に敢えて原作者が関わって作品の世界を映像で伝えるチームの一員としてタッグを組むというのはおもしろい、と思った。吉田さん自身が柔軟な人なのかもしれない。

音楽が、久石譲さんだった。原作の小説を読みながら唸った、どうすれば文の世界からあのような音たちが生み出されるのか・・・。

「悪人」
監督:李 相日
原作:吉田 修一「悪人」(朝日文庫刊)
脚本:吉田 修一・李 相日
主演:妻夫木 聡・深津 絵里・樹木 希林・柄本 明 他
音楽:久石 譲
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by sumiciki | 2012-01-28 23:21 | 映画・舞台など

祝・映画化!!! 「テルマエ・ロマエ」予告編

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映画化決定は大分前の話ですが・・・。

Youtubeにて、あの「すごい」マンガ「テルマエ・ロマエ」の映画予告編を発見!!!
一人で大興奮。 映像はこちらから↓
http://youtu.be/dkBrkZVS7oo

しかし、ふと考えてみると、日本に住んでいる方々は、とっくに映画館の予告を観てご存知なのでは・・・。

それにしても、阿部ちゃんを古代ローマ人(主人公ルシウス)に起用という、この絶妙なキャスティング。
予告編の最後、出演者の中に「市村正親」さんの名前あり。どう考えても彼は古代ローマ人の役だろう(日本人役ではなく)。彼の濃い顔が(阿部ちゃんも同様)、「映画の中では日本語を話す古代ローマ人」という、こんな役で活きるとは。待ち遠しい。

4月公開、映画館で観たいけれど、ヴェネツィア暮らしで年1回の帰国では、またDVDになりそうです・・・。
なにはともあれ、祝・映画化!!!

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by sumiciki | 2011-12-21 22:46 | 映画・舞台など

PINA

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ヴィム・ヴェンダース監督が3Dで、ドイツの振付家ピナ・バウシュ(2009年逝去)の世界を撮影した、ダンス・ドキュメンタリー・フィルム。
(私が観に行ったヴェネツィアの映画館では3D対応になっていなかったが・・・。)

ペドロ・アルモドバル監督の映画「トク・トゥー・ハー」の中で展開される彼女の舞台を憶えておられる方も多いかと思う。

ピナ・バウシュの来日公演のポスターを初めて見た時の驚きを、まだ憶えている。
裸(、に見えた)のダンサーが、体の前にアコーディオンを肩から掛けて、舞台一面の花畑に一人立っている写真。「カーネーション」の舞台だった。

映画は、彼女のダンス・カンパニー「ヴッパタール舞踊団」によるダンス・パフォーマンス。団員が、彼女との思い出を語りながら。そして、生前のピナの姿。
ヴェンダースは、彼等のダンスを舞台の上からも連れ出す。例えば街の交差点で。モノレールの中で。森の中で。そうすることで、ヴィム・ヴェンダースは映画だから撮れるピナの世界、を私達に見せてくれる。

今秋逝去なさった恩師アキコ・カンダ先生が、ニューヨーク時代一緒だったというピナの事を話してくださった時のことを、懐かしく思い出しながら、観た。

世代は、代わってゆく。次の世代には、どんな種が蒔かれただろうか。


日本での上映は、「Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」というタイトルで、2012年2月25日から。公式サイトはこちら↓
http://pina.gaga.ne.jp/introduction/

Site in English ↓
http://www.pina-film.de/en/dancers-_-staff.html
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by sumiciki | 2011-12-19 21:58 | 映画・舞台など

ヴェネツィア在住。雑記帳ブログ。
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